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絢瀬はノンカフェインの紅茶を淹れて、キッチンからリビングに戻る。ソファーに腰掛けようとすると、ぼんやりテレビを見ていたヴィンチェンツォが、ぬっ、と腕を伸ばしてくる。彼女が手にしていたマグカップを固定するように、絢瀬の手を捕まえた彼の左手と、絢瀬の細い腰を捕まえて自分の足の間へと誘導する右手。
緩慢な動きから、彼がお疲れだということが手にとるように分かるものだから、絢瀬は苦笑を一つこぼして彼の足の間に収まる。
足の間に収まった彼女に満足したようで、ヴィンチェンツォは細い首筋に鼻先を埋める。すん、と存在を確かめるように息をするものだから、絢瀬はくすぐったくてしかたがない。
「あら、今日は随分と甘えたさんね?」
「うーん……なんだか、君とくっついていたい気分なんだ。ダメかな?」
「ダメだったら、もっと早く拒否しているわよ」
「それもそっか」
「……紅茶飲む?」
「んー……別にいいかなあ」
ふるふる、と首元で頭を横に振るヴィンチェンツォに、絢瀬は存外柔らかい髪にくすぐったい、と笑いながら文句を言う。
そういえば、と今朝共に家を出たことを思い出す。普段は在宅勤務だが、週に二回ほど出勤をしている彼と駅で別れたのだ。これは職場で何かあったな、と察した絢瀬は、自身の腹の前に回っている彼の腕をとんとん、と叩いて話しかける。
「お疲れね。仕事かしら」
「そんなところかな。決まったデザインに、あとから別案の方が、とかいうのやめて欲しいよね。それに決めたんだから、一つ前の工程に戻ってほしくないよ……本当に」
「次の工程の人にも迷惑がかかるのにね。締め切りって言葉、知らないのかしら」
「本当だよね。決まるまでにやたら時間をかけるくせに、決めたら決めたで文句を言うんだもの。営業もさ、申し訳ないって顔でね……まあ、一番被害受けてるの私なんだけどさ」
「デザイン会社も大変ね」
「グラフィックは本当、クライアントの求めるものが人によって違うからね……いや、でも現行のデザインで落ち着いたから、そこはよかったかな」
グラフィックデザイナーから別のデザイナーになろうかと、本気で思わせるクライアントには困ったものだけどね。
苦笑しながら、ヴィンチェンツォは疲れちゃったから絢瀬とくっついていたいんだよ、と彼女の腰をホールドする。そういうことならいくらでも、と絢瀬も背中を彼に預ける。鍛えられた大胸筋と、ヴィンチェンツォの高めの体温が布越しに伝わる。
「明日も出勤かしら?」
「明日も……そうだね。出た方がスムーズに行きそうな気はするね」
「なら、明日、仕事が終わったら迎えに行こうかしら」
「え!? いいのかい、定期の圏外だよ? そもそも、逆方向じゃないか」
「そのくらい平気よ。圏外って言ったって、そんなに遠いわけじゃないもの。大した金額じゃないわよ」
「君が迎えに来てくれるなら、嬉しいよ。仕事が今から楽しみだね」
「あら、こんなことで浮かれてくれるなんて嬉しいけど、あなたの終業までに間に合わなくても怒らないでくれる?」
「もちろんさ。君が迎えに来てくれるまで、ロビーで待っているよ」
「それならよかったわ」
紅茶を啜りながら絢瀬が提案した言葉に、ヴィンチェンツォは目を輝かせる。喜びを伝えるように、彼女の後頭部に口付けを落としてくる彼に、思わず絢瀬は苦笑する。
ついでに買い物もしたいわね、と彼女が付け加えれば、デートだね、と空になったマグカップを絢瀬の手から取り上げながら、ヴィンチェンツォは絢瀬の唇の端に口付けをする。
「あら、珍しいわね。口にしてくれないのかしら」
「おや、珍しいじゃないか。口にして欲しい、って君から言ってくれるなんて」
「一本取られたわね。別にそういう気分じゃないなら、無理にしなくてもいいのよ?」
「君がして欲しいなら、いくらでもしたいんだけれどね。私のガッティーナは恥ずかしがり屋さんだから、どうにも素直になってくれないんだ」
「……んもう」
「ふふ。こうしたら、君からしてくれるんじゃないかな、って思ったんだ」
「手のひらで踊らされた気分だわ。あなたの手のひらの上だから、嫌じゃないけど」
体の向きを変えて、正面から向き合った絢瀬からの口付け――触れるだけの軽いものを受け止めながら、ヴィンチェンツォはにこにこ笑う。先程までの疲れていた彼はどこへやら、すっかりいつもの調子を取り戻している。
すっかり元気になった彼の髪を軽く撫でながら、デートが楽しみだからって仕事は疎かにしたらダメよ、と絢瀬は釘を刺す。もちろんだよ、とヴィンチェンツォは絢瀬の額に口付けを落とす。
撫でた指に残る整髪剤の手触りに、絢瀬はお疲れさまだからご褒美はもっと欲しいかしら、と小首を傾げて尋ねる。
「これ以上貰っていいのかい? 私は欲張りだから、いくらでも貰ってしまうよ?」
「たまにならいいのよ。お疲れさまのヴィンスにご褒美よ。一緒にお風呂に入ってあげる。髪の毛も洗ってあげるわよ」
「とんでもないご褒美だね。明日は雨かな」
「明日もいい天気らしいわよ、安心して」
「それなら良かったよ、せっかくのデートなんだから、晴れている方がいいものね。……それじゃあ、一緒にお風呂に入ろう。アヤセが髪を洗ってくれるなら、私はアヤセ髪を洗えばいいのかい?」
「あら、わたしはいいのよ。自分で洗うわ」
「それじゃあ、私ばかり貰っているじゃないか。私を甘やかしてくれるアヤセに、ちょっとしたお礼さ」
「そこまで言われたら、断れないわね」
おどけたように肩をすくめた絢瀬を抱き竦めながら、ヴィンチェンツォはソファーから立ち上がる。
入浴剤も入れようよ、と提案する彼に、それならきき湯の個包装のがあるわよ、と返す絢瀬。体の疲れも飛ばしましょうよ、と言う彼女に、最高だね、とヴィンチェンツォは笑った。