title by scald(http://striper999.web.fc2.com/)
休日。昼食のスパゲッティを食べたあと、皿を片付けるのは絢瀬の仕事だ。いつものように、食洗機から洗い終えた食器を取り出して、彼女は元通りの位置に食器を並べ直す。並べ終えた頃を見計らって、いつもなら構ってよ、と言わんばかりにくっついてくる恋人がやってこないことを不思議に思いながら、彼女はそういえば、とあることを思い出す。それは先週の休みのことだった。
大したことではない。ただ、春めいてきたから、衣替えを行ったのだ。春らしい柔らかい色合いの服を押し入れから引っ張り出して、冬のダウンコートやダウンジャケット、セーターたちをひとまとめにしたのだ。海外の家具メーカーの青色をしたショッピングバッグに押し込むのも大変だったのを思い出しながら、もうそんな時期か、と彼女はルームシューズをぱたぱたと鳴らしながら寝室に向かう。
ドアを開ければ、ベッドサイドでヴィンチェンツォが大きな体を小さくしながら、小さな小瓶を手にしているところだった。
「やっぱりここにいたのね。食器を仕舞い終えたのにやってこないんだから、ちょっとだけ探したわよ」
「ふふ、食器を片付けたあとは、私のハグがないと寂しかったのかい?」
「そうね。物足りないものはあったわね」
「ごめんね。忘れないうちに、新しいものにしようと思ってね」
そういうと、彼は手にしていた小瓶を見せる。それは先日二人で選びに行った物だった。
香水も季節で変えないとね。ヴィンチェンツォは冬の間つけていた香水から、春先にむけた新しいものを用意したいと絢瀬にでかける口実を作ったのだ。彼が一人で選んでも、絢瀬が気に入らない香りのものは選ばないというのに、わざわざ絢瀬が好きだと直接伝えた匂いのものを選ぶのだから、どれだけでも惚れ直しさせたいのだろう。
三十ミリリットルの香水は、だいたい二シーズンもあれば使いきる。秋冬に使っていたエキゾチックさを感じさせるバニラの香水のボトルは、綺麗に洗われており、次の不燃ゴミの日に捨てに行くのだろう。ベッドサイドには、先日絢瀬が選んだ香りのものが置かれている。
さっそくつけたのかしら。と言いながら、絢瀬はヴィンチェンツォの背中にぺったりとくっつく。すん、と匂いを嗅ぐと、服の隙間から柑橘系の香りがふわりと薄く漂う。
「良い香りね」
「君が選んだだけあるね。もう少し時間が経てば、また香りも変わるのがいいね」
「柑橘系からスパイスの香りになるの、面白くて好きだわ。あなたによく似合うと思うわ」
「そうかな。それじゃあ、この香りが似合う男にならないとね」
「あら、十分なっていると思うけれど?」
「私は今で満足できないんだよ」
「そうだったわね。今で満足するなら、わたしを何度でも惚れさせたい、って思わないわね」
「そうだろう? でも、世の中の男なんて、皆そうだと思うけれどね」
だって、好きな子にはいつだって素敵だって思われたいじゃないか。
胸の前に回っている絢瀬の腕をとって、手の甲にキスをしながら告げるヴィンチェンツォ。そんな彼に、そんなものかしらね、と笑いながら絢瀬は返す。ヴィンチェンツォの手に遊ばれている右手で、彼の右手の指を絡めとる。まるで恋人つなぎと言われるような指のつなぎかたをしながら、彼女はいつまで構ってくれないのかしら、と彼の耳元で呟く。
「そんなに構って欲しかったのかい?」
「ええ、とっても。あなたがいつも構ってくれるから、わたし退屈しなくて済むのよ?」
「たまには君から構って欲しいって言って欲しくて、つい意地悪をしちゃったね」
「あら、全部手のひらの上だったのね。悪い人だわ」
「ふふ。たまにはいいかなって」
だって、いつも私ばかり君に愛を告げているような気がするんだもの。
そう言った彼は頬をかわいらしく膨らませる。無骨な、何よりも男らしい外見にそぐわないそれすらも、惚れた欲目からか絢瀬には可愛く見えてしまう。ヴィンチェンツォの腹の前に持って行っていた、つないでいない左の指でその頬をつつきながら、日本人は恥ずかしがり屋なのよ、と絢瀬は笑いながら返す。
知っているけれどさ、と言いながら頬から空気を抜いた彼は、それでも言葉にして欲しいんだよ、とつなげる。
「それもそうね。言わないと伝わらないのは事実だもの」
「そうでしょう? ほら、アヤセも私にいつでも言っていいからね。いつだって待っているんだから」
「あら、どっちの言葉で言って欲しい? 日本語? イタリア語?」
「どっちでもいいよ。君が言いやすいほうで構わないよ」
「ふふ、それならイタリア語かしら。日本語だと、ちょっと恥ずかしいわ」
「母国語のほうが恥ずかしいかい?」
「そうね。どうしてなのかしらね……あ、でも今面と向かっては言わないわよ。なにより心の準備が出来てないもの」
「おや、改まって言う方が緊張しちゃったかな? まあ、愛の言葉は今じゃなくても、年中無休で受け付けているからね。私のプリンチペッサ」
「あら、ガッティーナじゃないのね」
「子猫だって言ったら、猫は言葉が話せないから、って屁理屈言って逃げそうじゃないか」
「……なるほどね。考えてなかったけれど、次はその手を使わせて貰おうかしら」
「……要らない一言を言っちゃったな、これは」
にんまりと三日月のように笑った絢瀬に、ヴィンチェンツォは困ったように首を振る。それでもいつでも愛の言葉は欲しいものだよ、と言うのを忘れないあたり、どうにかして彼女から言葉を引き出すのに必死なのが伝わってくるのだから、絢瀬はくすくす笑うのだった。