「気がついたんですけど」
「何に気がついたのよ」
「いや、俺、やっぱり恋人にかっこいいって思われたいなって」
「ごめん、巣鴨。ちょっと印刷したやつ持ってきてくれない?」
「あ、はい」
部署の先輩である佐藤美奈子に指示されるがままに、巣鴨は複合機に向かう。印刷が終わったA4の紙を彼女に手渡すと、やっぱり印刷すると粗が見えてくるわね、と難しい顔をする彼女に、フォントが詰まってるように見えますよね、と巣鴨が指摘する。やっぱりそう思うか、と唸った美奈子はパソコンに首ったけになる。
抱えている案件に向かいなおすか、と巣鴨も自分の席に戻ろうとしたとき、とん、と肩を叩かれる。振り返れば、そこにいたのは珍しく出社していたヴィンチェンツォだった。もっぱら自宅での仕事が多い彼に、シュレッダー行ってくるけど、と尋ねられる。ちょっと間って欲しいと告げてから、巣鴨はデスクの下にため込んでいたシュレッダー行きの書類を詰め込んだ紙袋を引っ張り出す。引っ張り出したときに、思わずよろけてしまったのは内緒である。
両手で紙袋を抱えてデスクチェアーの上に置いて、大量ですいません、と謝りながら彼に渡す。このぐらい平気だよ、と笑う彼は、平然tした様子で紙袋を持ち上げる。部署内のシュレッダー行きの書類をかき集め始めたヴィンチェンツォを見ながら、やっぱり筋肉か、と呟く巣鴨。そんな彼に、筋肉つける前に仕事しな、と美奈子の鋭い指摘が入る。
「ごもっともです……」
「でしょ」
「でも、やっぱり筋肉があったほうがかっこいいと思うんですよね」
「まー、そうかもしれんっすよねえ」
「くっ……妋崎さんのこの適当な返事……! さては聞いてませんね……!」
「えー? 聞いてますって。なんでしたっけ、調月さんとこの彼氏くんの筋肉が鬼ヤベーって話でしたよね」
「話半分だ! 話半分で聞いてる!」
終業後、妋崎俊(せざき・しゅん)と飲みに出かけた巣鴨はぎゃん、と吠えながらビールを煽る。
会社も違えば住む場所も違う。そんな二人がこうして飲むきっかけとなったのは、ヴィンチェンツォとその恋人・調月絢瀬(つかつき・あやせ)が理由だ。巣鴨の同僚であるヴィンチェンツォの恋人・絢瀬の同僚が妋崎なのだ。
そもそものきっかけは、ヴィンチェンツォがこの数日間の巣鴨の様子から、会社以外でそういう相談ができる友人はいないのかと尋ねたことだ。その結果、彼はなかなかに外に友人を作るのが下手だというのが判明したのだ。年上からかわいがられる方が気が楽かもしれない、と思ったヴィンチェンツォは行動が早かった。絢瀬に頼み、彼女の同僚と彼を引き合わせたのだ。
オタク趣味を持つ両者は意気投合するまでが早かった。生産側の趣味も持つ妋崎に、もっぱら巣鴨がカルガモの親子よろしくついて回っている状態だが。
……閑話休題。
ビールを煽っている巣鴨に、妋崎はそもそもかっこいいの基準が明確じゃないですよね、と指摘する。むむ、とうなりながら、ピンクブラウンに染めた髪をいじる巣鴨。なでつけている左側を崩さないように、かきあげている右側の髪をいじる彼に、少なくとも相手の基準が分からないとだめでしょ、ともう一度妋崎は告げる。
妋崎のタバコ色をしたかきあげられた長めの前髪と、銀鼠色をした丸眼鏡のむこうでは、呆れたような表情が見える。
「なるほど……晶ちゃんのかっこいいの基準をまず知る必要があると」
「そりゃそうでしょ。だって、僕とか君の恋人くんのかっこいいの基準とか知りませんし」
「そりゃそうでしょうよ……知ってたら俺がぶっ倒れます……! ううん……でも、たしかに晶ちゃんのそういう基準、たしかに知らないし、いい機会かも」
「はー、のろけは職場の休憩時間以外で聞く気はないんで」
「こういうときにも聞いてくださいよぉ!」
びえー、とわざとらしい泣き声をあげる巣鴨に、わざとらしすぎ、と額の中央にチョップを入れる妋崎。
「とりあえず、方針が決まったんだから、まずは相手のかっこいいを調べてからでしょ」
「ですね。晶ちゃんのかっこいいに当てはまるかっこいいところを磨きます!」
「……いや、たぶん君の場合、かわいいところを磨いた方が絶対ハマると思うんですけどね……」
「ん? 妋崎さん何か言いました?」
「いや、なんでも。あ、そろそろお勘定してもいいですかね」
そろそろ帰らないと嫁がうるさいんで。
そう告げた彼に、奥さんがいるのいいなあ、と巣鴨は返す。同棲時代から対して変化ないですけどね、と長財布から千円札を数枚取り出しながら返事をする妋崎に、結婚しているっていうステータスが大事なんですよ、と返しながら巣鴨も二つ折りの財布を取り出す。中に入っているのが五千円札だけというのを確認した彼は、あちゃ、と申し訳なさそうに妋崎を見る。
「五千円しかなくて……細かいのありますか」
「え? あー……ないっすねえ」
「うううー、まじかあ」
「それじゃあ、おつりは君がもらっていいですよ」
「面目ないです! 給料日過ぎだから、おおきいのしかなくて」
「あー、ありますよね。それ」
支払いしておくんで、と告げて伝票片手にレジに向かった巣鴨を見送りながら、忘れ物がないかを妋崎は確認する。どうにもそそっかしいところがある巣鴨は、こういう時になにかしら忘れやすいのだ。そう、例えば、今こうしてスマートフォンを忘れていくように。