巣鴨雄大はふ、と目についたパッケージを手に取った。
ドラッグストアに立ち寄った理由は、日焼け止めが無くなりそうだったから買いに来たついでに、予備の歯ブラシとボディソープの詰め替えを買いに来たのだ。だから、目についたそのパッケージは買い物リストの中には入っていなかった。
思わず手に取ってしまったのは、ふわふわしたフォントで「泡風呂」と書かれていたからだ。自宅に帰れば、晶のお気に入り(本人は疲れが取れると周りに勧められたから、と言うだろうが。飽きもせず同じ商品の購入を続けていることを気に入っていると言わずして何と言うのだろうか)の入浴剤があるのだから、別に買う必要はないのだけれども。それはそうとして、泡風呂は一度入ってみたいものである。
好奇心と、入ってみたいと言うドキドキ感と、洗濯には利用できないと書かれたパッケージ。残り湯は洗濯に回したい人間としてはなんともなんともな話である。
「いや、でも泡風呂は入りたいでしょ……泡だよ泡……子ども心にわくわくしちゃうよね……俺は大人だけど……!」
買い物カゴに入れるかどうか躊躇ってみるものの、心の中の悪魔がやってみたいと叫んで、心の中の天使も好奇心は人生のスパイスですよ、と囁く。もはや誰も止めるものがいない。
晶ちゃんにはちゃんと説明しよう、そうすれば分かってくれるはず、と自分を納得させると、巣鴨はパッケージを見比べる。長い横文字の、よく分からないがオシャレそうな香りの記載があるものを見比べながら、これにしようとなんとかバニラの香りのものをカゴに入れる。巣鴨は甘いものが割と好きなタイプだった。
電子マネーで会計を済ませて自宅に向かう。メゾネットタイプの家の前には、すでに晶の愛用しているバイクが駐輪されており、彼女がすでに帰宅していることがうかがえる。今日の晩ご飯はなんだろうか、暑い日が続いていて、元気なほうだと自負している巣鴨でもくたくたになっているものだから、食べやすいものが良いな、と思いながら玄関を開ける。
「ただいまぁ」
「おかえり」
「あ、日焼け止め買ってきたよ! あとね、入浴剤も!」
「入浴剤? それはあると思うが……」
「あー……その、俺がちょっと試してみたいやつで……」
ごはんの時に詳しく話すよ。そう言った巣鴨は、玄関を施錠して靴を綺麗に並べる。手洗いを済ませてからリビングに向かうと、キッチンでは流水に何かを晒している晶がいた。
今日はなんのご飯なの、と首をかしげながら巣鴨が尋ねると、冷やしうどんだと返ってくる。鶏肉のささみが乗っており、ぱらぱらと乗せられた小口切りにされた青ネギが目に鮮やかだ。ふわりと漂う香りはショウガだろうか。食欲をそそる香りがする。椀に乗せられたそれをトレイに乗せた晶は、運んでくれと巣鴨に託す。わかったよ、とつゆをこぼさないように慎重になりながら運ぶ巣鴨をよそに、彼女は大きめのグラスと五百ミリリットルのビール缶を冷蔵庫から取り出す。
キンキンに冷やされたグラスを冷たい、と感じながらグラスとビール缶を運ぶ。ローテーブルに椀を並べていた巣鴨は、おいしいやつだ、と目を輝かせてビールを見ている。
「やっぱり、こうも暑いとビールがおいしいよねえ」
「そうだな」
「大学生の時はビールがおいしい、なんて思ったことないんだけど、なんだろうなー。最近はビールがおいしいって言う気持ちがなんとなく分かるような気がする」
「これは喉ごしを楽しむものだからな……」
「そうそう。味わうものじゃないんだよね。舌の上で転がしたりさ」
かしゅ、とプルタブをあけて、よく冷えたグラスにビールを半分ずつ分ける。かんぱーい、とグラス同士をかちん、と軽くあわせてから、巣鴨は一息にビールを煽る。口の端を拭いながら、グラスもビールもつめたい、と大きな声を上げた彼をよそに晶は静かにビールを飲む。
よくゆでられた鶏肉のささみを口に運びながら、晶は試してみたいとはなにか、と尋ねる。え、と疑問形になってから、巣鴨はその質問が先ほどの入浴剤の話だと理解する。
「ああ、入浴剤ね。えー……っと、あったあった。これ」
「……泡風呂?」
「そう! あわあわでもっこもこなお風呂!」
「入りたいのか」
「入りたいです」
「そうか」
「残り湯を洗濯に使えないけど……だめかな」
「かまわんが」
「やったー! 晶ちゃん、一緒にお風呂入ろうよ」
あわあわもこもこなお風呂独り占めはよくないと思うんだよね。
ひとりで頷きながらそう話す巣鴨に、別に独り占めしてくれてもかまわんが、と喉元まででかかった言葉を晶はうどんと一緒に嚥下する。せっかくかわいい恋人が誘ってくれているのだから、楽しむのも一興というものではないだろうか。そう考えながらも、彼女は浴槽はそれほど大きくないぞ、とビールを飲みながら口を開く。
くっついてお風呂に入るのも楽しいと思うよ、とにこにこ上機嫌な巣鴨に、風呂場で食われる可能性を考慮していないのかと思わず晶は笑いそうになる。ひくつく頬を無理矢理押しとどめながら、晶はそうか、とささみを口に運ぶ。
「いやー、やっぱりこう、一回は憧れるよね。泡風呂。普通家ではやれないからさ」
「そうだな」
「どんな感じでもこもこの泡が出るんだろ。えーと……五センチぐらいお湯を張ってから、そこに入浴剤を入れて、そのあとシャワーとかでお湯を入れるのか」
「手間がかかるな」
「泡風呂ってちょっと大変だね。自動湯沸かしじゃできないんだね」
「そうらしいな」
「よし、さっそくお湯出してこよ!」
お皿洗うから、シンクにいれておいてね。
そう言い残して巣鴨はウキウキと浮かれた足取りでバスルームに向かっていく巣鴨を、晶は食器をまとめながら見送る。しばらくもしないうちに、締め切られた扉の向こう側から水が何かにぶつかる音が聞こえてくる。浴槽に水がたまる音を聞きながら、泡風呂は妹が好きそうだな、とぼんやり考えながら晶は食器をシンクに運ぶのだった。