ヴィンチェンツォ・ガブリエーレ・フェッリーニは暖房をそこそこに効かせたリビングで腕まくりをしていた。なぜなら、これから物置からシーズナルの小物を引っ張り出すための気合いを入れるためである。
ダイニングテーブルの上には、絢瀬がクリスマスだものね、と買ってきたシュトーレンが二本。なぜ二本もあるのかと尋ねたら、毎日少しずつ食べなさいと言っても聞いてくれない食いしん坊がいるからよ、と鼻先を突かれながら指摘されたのは昨日の話だ。心当たりがありすぎて、我慢できるよ、とは言い切れなくて、彼女には言い切りなさいよ、と呆れられたのもいい思い出だ。
ヴィンチェンツォは手始めに物置から引っ張り出してきた、装飾済みのクリスマスツリー(二人暮らしに見合った小さなものだ)をシュトーレンの隣におく。これからクリスマスの飾りを更に出して、一仕事終えた後にシュトーレンを一切れ食べようという考えなのだったが……見ていると、一仕事頑張るために今一切れ食べてもいいのではないか、と悪魔が囁いてくる。
これは絢瀬が買ってきたものだから、二切れもこっそり食べては彼女の指摘通りだ、と囁く天使もいなくはないが、悪魔の方がおいしいものを食べた方がやる気も出るし、疲れてから食べたらさらに美味しく食べられてお得だよ、と大声で喚いている。そして、目の前に二つもシュトーレンは用意されている。
――結果として、包丁で二切れ切り取ったヴィンチェンツォは皿に二枚乗せると一切れをまず口に運ぶ。まだ馴染みきっていない洋酒の味と、ふんだんに使われたナッツとドライフルーツが大変好みだ。
これからますますおいしくなるのを待ちたい気持ちと、今全部食べてしまいたい気持ちがせめぎ合う。なんなら、今切り分けたもう一つも食べたい気持ちである。
流石にもう一つを食べるのを堪えて、なんとか視線を外し、チェアーからたちあがる。やっぱり食べたい、という気持ちを殺しながら倉庫代わりになっている部屋に戻る。
「クリスマスオーナメントは……リースと、やっぱりテレビ台とシューズボックスに小物は置きたいよね。寝室用のツリーと、私の仕事部屋用のリースと……ああ、よかった。どれも無事だ」
リースの飾り付けがどれも外れていないことを確認して、ヴィンチェンツォはそれらを丁寧に持ち上げる。まずは寝室に飾るためのリースとツリーだ。
寝室の扉にリースをひっかけ、扉を開けるとヘッドボードにツリーを置く。倒れないように、目覚まし時計から少し離れた場所に置くのを忘れない。
寝室を飾りつけると、ヴィンチェンツォ自身の仕事部屋の扉にリースを飾る。仕事用のL字デスクに木製のトナカイとサンタクロースを飾るのも忘れない。こうした小さな季節感が大事なのだ。
玄関のシューズボックスの上に小ぶりなツリーを飾り、玄関ドアを開ける。覗き窓を囲うようにツリーを飾る。まだ隣の家は飾り出していないから、出先から戻ってきた絢瀬は驚くかもしれない。
驚く彼女の顔を楽しみに思いながら、一通り家の中を飾り付けたヴィンチェンツォは残りのシュトーレンを食べるために部屋に戻る。冷え切った外の空気から、暖房の効いた部屋に戻ると、ものの数分もない間なのに指先が驚くほど冷えていることに気がつく。
筋肉で膨らんだ身体をウキウキ浮かれた様子で左右に揺らしながら、ヴィンチェンツォはダイニングチェアーに腰を下ろす。残しておいた一切れにフォークを刺して口に入れる。身体を動かした後のケーキは最高である。
「そういえば、紅茶もらったんだったっけな。入れてみようかな」
蜂蜜みたいに甘いらしいから楽しみだな。
鼻歌を歌いながら、ヴィンチェンツォは電気ケトルに水を注ぐ。スイッチを入れて湯を沸かしている間に、ケーキを置いていた皿を洗う。
洗剤の泡をきれいに洗い流し、皿を食器棚に戻す頃にはお湯が沸いたらしく、ケトルの口から湯気が上がっている。皿を食器棚に戻しがてら取り出したティーポットに、沸いたばかりのケトルのお湯を注ぐ。少し冷めるのを待ってから、ティーポットにティーパックをヴィンチェンツォは入れる。外袋を開けただけで匂い立つ甘い匂いは、人工的というには自然的な蜂蜜の香りだったものだから、だいぶ期待が高まる。
蒸らしは三分、とスマートフォンで時間を確認してから、ヴィンチェンツォはカップを取りに向かう。愛用のマグカップを手に取ると、スマートフォンがちょうどメッセージの着信を告げる。
おや、とヴィンチェンツォがマグカップ片手に戻ると、絢瀬がそろそろ帰宅する旨を伝えるものだった。嬉しくなった彼は、紅茶を淹れて待ってるよ、と入力してから、シュトーレンを一緒に食べようよ、と追記する。
蒸らし終えた紅茶を自分のマグカップに淹れながら、ヴィンチェンツォは絢瀬のマグカップを取り出す前に紅茶を試しに一口飲む。強烈なまでの蜂蜜の甘さに目を白黒させてから、二口目を嚥下すると驚くほど柔らかい紅茶の味が舌の上に広がる。
これはシュトーレンに合うだろうな、と思っていると、絢瀬からのメッセージをスマートフォンが受信する。開いて見れば、もう二切れくらい食べちゃったんじゃないかしら、とまるで見ていたかのような発言に、ヴィンチェンツォは千里眼とはこういうことを言うのかな、と短くなったシュトーレンを見ながら思うのだった。