title by 一人遊び。(http://wordgame.ame-zaiku.com/)
イースター。復活祭と呼ばれるその季節は、日本人である絢瀬にはぴんと来ないものがあるのだが、キリスト教圏であるヴィンチェンツォには大事な季節らしい。春分の日の後の最初の満月の次の日曜日であるその日は、ちょっとだけ豪華な料理が並ぶ日で、恋人が卵を装飾する日、程度の認識を絢瀬はしている。ヴィンチェンツォは翌日に必ず有給を入れて連休にするものだから、絢瀬もついでに連休にしている。その程度の認識だ。
ヴィンチェンツォ本人もセカンドネームに偉大な天使の名を抱いているが、そこまで敬遠な教徒ではないため、イースターの期間の前に肉類を断ち、イエスの苦しみを知る――ということはしない。この日だけは教会に赴く、程度である。
そんなイースターを翌週に控えた日曜日。ヴィンチェンツォはせっせと中身を抜き取って――もったいないから、と中身は冷やして固めるだけのプリンに変貌させた、乾燥させた卵や、卵形に乾かした紙粘土たちに筆を走らせていた。
「あら、今年も作っているのね」
「当然さ。イースターなのに、イースターエッグもバニーもないだなんて寂しいじゃないか。せっかく春の到来だっていうのに」
「そういえば、駅前の雑貨屋にもあったわね、イースターエッグ」
「へえ。日本でも流行りだしたのかな。まあ、クリスマスが恋人の季節になる国だし、なんでも取り込むその精神は凄く好きだよ」
「そうね。なんでもお祭りにする国柄だもの。……あら、かわいい。うさぎの形ね?」
「紙粘土で作ったんだよ。うさぎの耳を生やして、かわいい置物になっただろう? よかったら、職場に持っていくといいよ」
「ふふ。とっても素敵なオブジェね。仕事中も癒やしてくれそうだわ」
このぐらい小さいなら、邪魔にならないわ。
そう笑った絢瀬は、白く塗られたうさ耳の生えた卵は、赤の強いつつじ色で塗られた下半分にたまご色の大ぶりなドットが描かれている。上半分は白色のままで、煤竹色で目が点々とかかれている。デフォルメされたうさぎの顔は、どことなく癒やし系と言えるだろう。
持っていくなら、ついでにこうしちゃおう。そう言うと、ヴィンチェンツォは完成したうさぎの顔に小さな筆をすす、と走らせる。はい、と渡されたそれは、先ほどのうさぎの顔にメガネが書き込まれていた。
「……わたしのつもり?」
「かわいく描けていると思わないかい?」
「かわいいわね。それで、わたしだけなのかしら?」
「もちろん、これは私にするつもりだよ」
君をひとりにしたら、悪い男に連れて行かれちゃうよ。
からからと笑ったヴィンチェンツォは、ウィスタリアカラーで下半分が塗られた白いウサギに、黄みがかった薄い茶色で顎髭のような線を引く。ちょっとワイルドな髭が描かれたそれは、どことなくヴィンチェンツォのような雰囲気がある。
セットで飾らないとね。そう笑った絢瀬に、ヴィンチェンツォは私のデスクにも君が欲しいなあ、と呟く。ペインティング用の筆を小さなバケツにいれると、ラップをして乾燥防止をしていた紙粘土に手を伸ばす。こねこねと適当な大きさにちぎった粘土をこねる大きな手を見ながら、わたしだけを用意するのかしら、と絢瀬が尋ねるとそのつもりだよ、と事もなげにヴィンチェンツォは返す。
「だって、私がいるんだから、私はいらないだろう?」
「なるほどね。そういう考えもあるわよね」
「……あれ、だったらアヤセのデスクにアヤセはいらない?」
「あら、わたしが帰った後、ヴィンスが知らない人に着いていったら悲しいわ。だから、わたしが必要よ」
「ふふ、君がいてくれたら、うさぎの私もよそ見をしないだろうね!」
ふふ、と笑ったヴィンチェンツォは、紙粘土が乾燥するまでの間に、積み上げた卵の殻に手を伸ばす。速乾性を謳う粘土らしいが、乾くのに少しばかり時間がかかる。
「毎年作るんだけど、やっぱり春がきたなあってそのたびに思うよ」
「そうね。あなたが卵に絵を描いているのを見ると、わたしも春がきたなあって思うわ」
「季節の巡りをこうして感じるのもいいことだよね。……おっと、そろそろ準備をしないとだ。スィニョーラがやってきちゃうな」
「あら、どこのスィニョーラかしら」
「君のところのスィニョーラ・ムソカリだよ」
今年からイースターに乗っかってみるんだって。そう言ったヴィンチェンツォに、部長はそんなことを言っていなかったぞ、と絢瀬は平日の会社での出来事を思い返す。人の良い部長は、他愛ない交流を大事にするひとであるから、こうした行事ごとがあれば部内で話してくれる。
きっと奥さんの独断だな、と踏んだ絢瀬は、明日部長が楽しそうに報告してきそうだわ、と笑うにとどめた。その間にも、ヴィンチェンツォは絵の具が乾いた卵を、緩衝材のカラフルな紙パッキンを敷き詰めたカゴにいくつか並べる。もうこのまま飾るだけでもおしゃれな雰囲気だ。
水色にピーコックグリーン、ロイヤルブルー、ローズレッドに塗られた卵は、それぞれアイボリーホワイトやクリーム色で模様が描かれている。細やかで華やかなそれらを敷き詰めた彼は、満足げに頷いている。
そんなヴィンチェンツォを見ながら、絢瀬はまだ積み上げられている卵を見る。プリンにカスタードクリームにと変身した中身を思い返しながら、しばらくプリンに困らないな、考えながら、渡されたうさ耳の生えた卵をどうやって傷つけずに職場に持ち込むかを考えるのだった。