title by 腹を空かせた夢喰い(https://hirarira.com/)
終業後のバス車内は混んでいる。そりゃあそうだ。この時間は帰宅ラッシュの時間だし、道路だって車で道が混むのだから。そんな当たり前なことに、俺はうんざりしながら外を見る。天気は雨で、ざあざあと降る雨がいっそう憂鬱に拍車をかけている。
でも、それでも今日はラッキーだったなと思ってしまう。ちら、と隣を見て俺はほくそ笑む。
片側に流した前髪、ノーフレームのメガネが凛々しい知的美人。背は俺並みに高いだろうに、ヒールのある靴なんて履いてやがるのが難点だが、顔はいい。なんてったって、インテリ美女だ。
(かなりの上玉なんだよな……)
胸はそれほど大きくはないが、スレンダーな美人なら問題ない。黒のスーツがよく似合っている。
週に一度か二度ほど、会わない時もあるが、その美女はこのバスを使っている。つん、とすました無表情もヒールのある靴に次いでのマイナスポイントだが、まあクールビューティーだってことにしておけば問題ない。
(どうせなら、笑ってる方がいいってもんだがな)
(言うだろ? 女は愛嬌だって)
(女は男に媚び売るくらいでちょうどいいってもんだ──)
こんな美人でも乗ってなければ、つまらない会社生活に嫌気が指す。会社の十人並な顔の女どもを思い浮かべては消しながら、俺は隣の女から目を逸らす。あまり見ていては何を言われるか分かったものじゃない。
手元のスマートフォンに目を落としながら、俺はのろのろと動くバスの中でぼけーっとする。そのくらいしかすることがない。Bluetoothのイヤホンは充電が切れてしまって、音楽を聴くことすらできないのだ。
つまらないSNSで回り回っているネットニュースを見ながら、無為に時間を潰す。
せめて早くバスが自宅近くのバス停につかないかな、と思いながら首を回して驚く。
(おまっ──そんな顔もできんのかよ!?)
彼女が笑っていた。薄く、その顔に微笑みを浮かべてスマートフォンを見ていた。それはまさに、慈愛の微笑みというのがふさわしい顔をしていた。穏やかで、柔らかで──どこまでも深い情愛に満ちていた。
なんだ、何を見ているんだ。かわいい猫の動画か何かか。最近話題のフェルトのぬいぐるみのアニメーションか。気になってしょうがない俺を嘲笑うようにバスは停車する。
「──東、──東。お降りの方はドアが開いてから──」
少し前後に動いてからバスは停留所で停まる。すーっ、と開いた出入り口に吸い込まれるように彼女は向かう。ああ、そうだ。ここは彼女の降りるバス停だ。そんなことを思っていると、出入り口の先に人の頭が見えていることに気がつく。
(!? でっか……!?)
車高のあるバスであるのに、その人物は普通に見える。余程の巨体なのだ。顎髭にツーサイドブロック、ソフトモヒカンな男。しかも筋肉がヤバい。服越しに見ても分かるほどにむっきむきなゴリラみたいな男ときた。なかなかやべえ見た目だ。圧を感じる。
そのくせ履いているのは黄色のワンポイントが入った紺色のレインブーツ。可愛らしいがそれがこんな無骨な男にだって履かれたくはなかろうに。
(やべえって。あの女が降りるバス停にこんなやばいやつがいるとか──)
「ヴィンス、迎えにきてくれたの」
「勿論。ただ、買い物もしなきゃいけないからね。付き合ってくれるかい?」
「勿論よ」
(──って、知り合いかよ!?)
「今日は何かしら、夕飯」
「そうだねぇ。何がいいかな──」
ヴィンスと呼んだ男に手を引かれて、俺の美女がバスを降りていく。あんなツンケンとしたすました雰囲気が嘘みたいに優しい。
ああ、そうか。さっき微笑みを浮かべていたのは、あの男からの連絡があったからか。雨降りの中、迎えにきてくれたのか。そりゃあ、あんな美人、男の一人や二人いるよなあ。
そんなことを考えていると、バスは扉を閉じて動き出す。のろのろ進行のバスの中、また停車ボタンが赤く光った。
座席がドアの近くすぎて、外の様子は窺えなかったが、あの美女と野獣はきっと仲良くバス停横のスーパーに入って行ったんだろう。あーあ、リア充どもめ!