誰にだって眠れない夜というものは存在する。
例えば、それは悪夢を見たことが原因かも知れない。たまたま寝付きが悪かっただけかも知れない。もしかしたら、酒を飲んだせいかもしれないし、トイレに行ったが故に目が覚めたのかも知れない。
そんな夜は誰にだって存在するし、それはヴィンチェンツォ・ガブリエーレ・フェッリーニだって同様だった。
眠れないままに、布団の中で目を閉じてみたり、穴が空くほど絢瀬の顔を見ていたりした(視線がわずらわしくなったのか、絢瀬は途中で寝返りを打ってしまった)が、どうにもこうにも睡魔が訪れない。しかも、そのまま、腹の虫が一度盛大に鳴った。
いっそ無視しようかと思ったものの、ぐるぐると獣のように鳴る腹の虫に耐えかねて、ヴィンチェンツォはもぞもぞとベッドから出る。
絢瀬を起こさないように慎重にベッドから出た彼は、そのまま静かに扉を開けてリビングダイニングに向かう。春先の夜中はやや冷え込むが、そこまで寒くはない。
「たしか、このあたりにあったはず……」
照明をつけると、ヴィンチェンツォは乾物を入れているカゴをがさがさと漁る。
パスタがたくさん入っているカゴを漁ること五分ほどだろうか。カゴの底のほうで眠っていた袋麺のパッケージを見つける。まだ未開封だった醤油味のそれを破り、中から一袋取り出す。
小さめの鍋に水を張り、火にかける。鍋の水がお湯に変わるまで、ぼんやりとその様子を眺めていると、ぐらぐらと水が揺れ始める。
お湯になったところで、袋を破り、麺を鍋に入れる。すぐに解さず、一分ほどそのままにしておく。
「そろそろいいかな……」
一分ほど経過してから、麺をひっくり返して、軽くほぐす。そのまま規定の三分間茹でる。
茹でている間、丼を取り出すか少し迷って、洗い物を減らしたいからと、そのまま鍋に直箸をしようと考える。
三分が経ったのを確認して、鍋を火からおろす。そのまま鍋にスープの素を入れて、ついでに冷蔵庫からニンニクのチューブと、練りタイプの中華スープの素を取り出す。
チューブのニンニクをやや多めに鍋に入れ、醤油味のスープの中に中華スープの素を入れる。
好みの味にカスタマイズしたラーメンを完成させたヴィンチェンツォは、チューブとスープの素を冷蔵庫にしまい、箸で直接ラーメンを啜る。コンロの前で、直箸で食べるのは行儀が悪いと思いつつも、深夜にラーメンを食べている時点で、行儀も何もないと思う自分がいることに苦笑する。
ずるずるとラーメンを啜っていると、がちゃ、と扉が開かれる。構造上、リビングダイニングの扉はキッチンの真横で、キッチンカウンター内で夜食を食べているヴィンチェンツォのすぐそばにある。
ギョッとした彼が扉の方を見ると、じいっと寝ぼけまなこの絢瀬が彼の方を見ていた。
「……いい匂いがするわね」
「あ、あー……その……これは……」
「いいのよ、別に。たまには、夜中のラーメン、食べたくなる時もあるわよね」
「あ、ああ。そうだね、うん」
「……」
「……」
気まずい沈黙が降りる。
普段の二人なら、沈黙が降りようと気にかけることはない。しかし、それは居心地の良い沈黙であるからだ。
メガネのない絢瀬は、見えないからだろうが眉を顰めて厳しい表情をしている。それは、ヴィンチェンツォを責めているようにも見える。実際には、ただの彼が持つ罪悪感から来ているのだが。
罪悪感に耐えかねたのか、沈黙に耐えかねたのか、ヴィンチェンツォはがっくりとうなだれながら、絢瀬に食べるかと尋ねる。
「いいの?」
「私の食べかけでも良いならね」
「構わないわよ、そのくらい」
「そうかい? あ、ごめん。箸、これ使って」
「ふふ。直箸なんて悪い子ね」
揶揄ように笑った絢瀬は、ヴィンチェンツォから箸を受け取り、ずるずるとラーメンをすする。別にありきたりなラーメンで、ありふれた醤油ベースの味だ。
ずるずると三口ほど啜ったところで、絢瀬はヴィンチェンツォに箸を返す。満足したのだろう。受け取った彼は、少し減った醤油ラーメンを啜る。
「やっぱり夜食はラーメンよね」
「そうだね……って、アヤセ、夜食にラーメン作ったことあるのかい?」
「失礼ね……まあ、作ったのは姉さんだけど」
「ああ、ハヅキが作ったのか。それなら納得だよ」
ラーメンを啜りながらヴィンチェンツォが納得していると、大学入試の勉強の差し入れはもっぱら醤油ラーメンだったわね、と笑う絢瀬。
ハイカロリーだね、とつられて笑うヴィンチェンツォは、食べ終えた鍋と箸を洗って水切り台に引っ掛ける。
ラーメンを食べ終えたヴィンチェンツォは、満腹感から眠気を感じる。くあ、と大きなあくびを一つした彼に、絢瀬は寝ましょうよ、と提案する。
「明日も仕事よ?」
「そうだね」
「早く寝ましょう? お腹も膨れたでしょ?」
「うん、すっかりね」
これなら一晩空腹を抱えなくて済みそうだよ。
そう笑った彼に、絢瀬はなら安心ね、と微笑み返して寝室に向かう。彼女の後ろ姿をゆっくりと追いかけながら、ヴィンチェンツォはもう一度大きなあくびをした。
今度は朝までしっかり眠れそうだ。