俺の名前は話すほどのものではない。
格好をつけてみたが、たまたま仕事でジョウト地方からパルデア地方までやってきただけの、こういうと悲しいが、いわゆるしがないサラリーマンである。恋人いない歴二年目に差し掛かろうとする。そう、今まで恋人がいなかったわけではないのだ。別に長続きしたかと言われると、ちょっとその、傷つくものはあるが。
ハッコウシティでの商談がまとまり、現地でおいしい食べ物がある店を聞くと、そういうことならチャンプルタウンがおいしい食べ物が多いと相手先が教えてくれる。街の名前から美味しそうだと思っていると、古今東西の食があるという。それを聞いてしまうと、居ても立っても居られない。おいしい食事は明日の活力になるのだ。
うきうきしながら、先方に今後ともよろしくと別れてそらをとぶタクシーに乗り込む。ジョウトでは免許さえあれば、自分たちで空を飛べるものだから不思議なものである。イキリンコと呼ばれる鳥ポケモンたちが持ち上げるカーゴに揺られながら、チャンプルタウンに向かう。道中運転手からおすすめの食堂を聞いておくのも忘れない。こういうのは現地の人間に聞くのが一番だ。
宝食堂が安くておいしいと聞いた俺は、脳内メモ帳に第一候補に宝食堂をメモしておく。安くておいしいは正義だから仕方ない。
ポケモンセンター(何度見ても吹きっさらしで寒そうだな、と思ってしまう)で降ろされ、スマホロトム(少し前までポケモンギアだったのに、目まぐるしい時代の進化に驚いてしまう。かがくのちからって、すげー!)でタウンマップを開く。様々な飲食店が軒を連ねる中、宝食堂はどうやらこちら側ではないポケモンセンター側にあるらしい。
食前のいい運動になりそうだと思いながら、歩き出そうとした時、そらをとぶタクシーを使ってきたらしい青年が隣で会話を始める。どうやら恋人との電話らしく、綺麗な顔を綻ばせている。
それにしたってまつ毛が長い。昔の彼女より長いのではないだろうか。シャープペンの替え芯どころか、ボールペンの替え芯だって乗りそうなほど、ふさふさで長い。
長いまつ毛だけじゃない。メリープの毛のようにふわふわとした、ベージュにブラウンのメッシュが入った肩口までの髪。珍しくはない髪色でも、男でそこまで伸ばしているのは珍しいのもあって、どうしても目を引く。片目を隠しているのもミステリアスだ。
ちらり、と見えた目は透き通るようなオパール・グリーン。そんなに色素が薄いと、にほんばれのような強い日差しを受けるとつらいだろうなと思わせるほどだ。
気の強そうな、きりっとした眉にこれからますます男らしく育ちそうな顔立ち。よくよく見れば、身体もこれから成長していくのだろうことが分かる。いわゆるイケメン、というよりは美丈夫というのが近いかもしれない。そんな青年だ。
「……ん、分かった。今からジムに行くからさ、そこで落ち合おうぜ。……へへ、好きだよ、オレのかわいいホシガリスちゃん」
にこにこ笑顔でとんでもない甘ったるい発言をした青年は、スマホロトムの通話を切る。ここ、パルデア地方の恋人たちはどうしたって情熱的に恋人を呼ばないと気が済まないのだろうか。ホシガリスちゃん、やら、ヒマナッツちゃん、やら、カイデンちゃん、やら……今日だけで何件も聞いた。きっと青年もかわいい女の子に対しての呼びかけなのだろう。ホシガリスのように食いしん坊の女の子かもしれない。それはたしかに可愛いと思うが。
見えてきたチャンプルタウンのジム。何度見ても地元のジョウト地方とは違うなと思ってしまう。オフィスビル然としたそれは、外見ではわからないだけで、もしかしたら内装にジムリーダーの個性があるのだろうかと不思議に思う。タウンマップ曰く、非凡サラリーマンらしいこの街のジムの内装は予想もつかないが。
隣を歩いていた美しい青年が、ジムの自動ドアから出てきたスーツ姿の、猫背なのに背が高い男の方に走っていく。ギョッとした。まさか、まさか、まさか!
「アオキさん!」
「お待たせしました、行きましょうか」
「へへ、全然待ってないぜ。今来たところだしな。アオキさんと晩飯食いに行くの、楽しみにしてたんだぜ」
「いつもの店ですよ」
「オレのかわいいホシガリスちゃんが、頬袋いっぱいに食べてるのを見るのが好きなんだよ」
それを見れるんだったら、どこの店でも楽しみちゃんだぜ。
ニッコニコでそう言っているのがわかるほど、雰囲気が明るいのが後ろからでもよく分かる。どう見てもくたびれて、ちょっとその――冴えないサラリーマンが『かわいいホシガリスちゃん』には見えないが、青年にはかわいいホシガリスちゃんなのだろう。
恋は惚れた側が負け、とはこういうことなのかなあ。惚れた欲目かもしれないなあ、と思いながら、二人の横を通り過ぎ――ようとしたとき。くたびれて冴えない猫背でも背の高いサラリーマンの声が聞こえた。たまたま風の向きから聞こえただけかもしれないが。
「今日も宝食堂ですが、構いませんか。自分の愛しいムックルさん」
お前たちも宝食堂に来るんかい!
振り返りたい気持ちを抑えて、内心だけで突っ込む。らぶらぶカップルに邪魔をされたくない気持ちが強いが、もう腹の気分は宝食堂なので諦めることにする。
というか、ムックルなんだ青年。たしかに成長するとムクホークとかいうかっこいいポケモンに育つもんな、ムックル。もうそんなことを考えていないとやってられないのであった。
宝食堂でホシガリスのサラリーマンがやたらと食べることに驚くこととなったのは、もう少し後の話である。