title by OTOGIUNION(http://otogi.moo.jp/)
寒さで目が覚めた絢瀬は、自分の体にしっかりと絡みつく大木のような腕をそのままに、窓を見上げる。自分の髪に鼻先を埋めている、愛しい体温を背中越しに感じながら窓を見れば、そこから見える景色は白かった。
そういえば昨晩のニュースで、明日は雪だと言っていたな、と思い出しながら、絢瀬は肩まで布団に包まる。二人分の体温で温まった布団の中は、まるでこの世の天国のように暖かだ。
とはいえ、今日は平日で出勤しなくてはならない。いつまでも布団の中で暖かさを享受しているわけにいかないのだ。
「ヴィンス、起きて」
「んん……」
「朝よ。ほら、起きてちょうだい」
「んんん……寒いよ……まだ大丈夫……」
「悪い人ね。わたしは起きたいのだけど?」
「アヤセがキスしてくれたら起きるよ……」
「あら、そんなことで起きてくれるなら、いくらでもするわよ」
絢瀬が、まるで小鳥が啄むような軽いキスをヴィンチェンツォの厚い唇に落とせば、仕方ないなと言わんばかりに、ゆるゆるとした動きで彼は腕の中から絢瀬を解放する。
寒いよお、と床に落としたままの半纏を羽織りながら起き上がる彼に、雪が降ってるもの、と絢瀬は窓を指差す。
「雪? うわ、本当だ。夕方までに止んでくれないかな。雪の中、買い物に出かけたくないよ」
「ふふ。雪は好きなのに、寒いのは本当にダメね」
「寒いとどうしてもね。厚着をしないといけないし、どうにも好きにはなれないな。ああ、でも」
「でも?」
「君とくっついていられる口実がひとつ増えるから、そういうところは好きかな」
「……本当、わがままな人なんだから」
そんな話をしながら、ヴィンチェンツォはもそもそと寝室を後にする。朝食を作りに行くついでに、自身の仕事部屋の暖房を入れに行ったのだろう。ヴィンチェンツォの仕事部屋においてあるヒーターは、どうにも暖まるまでが遅いのだ。
そんな彼を見送り、絢瀬は寝巻きを脱いでストッキングに脚を通す。素肌の上に一枚、薄いそれを履くと、仕事用のブラウスを手に取る。真っ白いそれは、ヴィンチェンツォが選んだすこし小洒落たものだ。
肌着を身につけてブラウスに袖を通せば、ひんやりとした冷たさに肌が粟立つ。ボタンを止めているうちに、そんな感覚にも慣れてしまう。スカートを履いて、ジャケットを片腕に掛けてリビングに向かう。
リビングはヒーターが十分に自らの仕事をしており、既に暖まっている。エスプレッソマシンでカフェラテを作りながら、絢瀬はヴィンチェンツォに近寄る。
「パンはまだある?」
「明日の分はありそうだよ。明日、君を迎えにいくついでにパンを買おうかな」
「あら、いいわね。なら、駅のパン屋にしましょう? ガットのパン、あなた気に入ってたじゃない」
「ああ、あのパンもいいね。そうしようか」
「なら、明日改札口で待ってるわね」
「ん、分かったよ。……いや、君が待っているなら、今日買いに行ってもいいかもなあ」
「あら、雪が降ってるから嫌だ、っていうと思ったのに」
「だって、君と出かける口実になるでしょう?」
それとも、私とデートは嫌だったかな。
そう言う彼に、仕事終わりにデートだなんて最高ね、と絢瀬はカフェラテを啜りながら微笑む。残業しないように気をつけなきゃ、と笑う彼女に、残業したら私が悲しむからね、とヴィンチェンツォも笑う。
パンにバターを塗りながら、絢瀬は思い出したように口を開く。
「そう言えば……一度もしたことないのよね、学校帰りのデート」
「へえ? 昔の彼氏とはやらなかったのかい?」
「あら、また蒸し返すつもりかしら? 彼とはそもそも家の方向が違うからできなかったわよ」
「それは良かったかも。君の初めては全部私がいいよ」
「ふふ。キスは彼が初めてだし、付き合ったのも彼が初めてだけどね」
「そう! それが悔しいんだよ!」
君の全てを知りたいのに、と大袈裟なまでに嘆くヴィンチェンツォに、絢瀬はほとんどがあなたが初めてだと笑いかける。それでも満足していないらしい彼は、手を繋ぐのもキスもハグも私がはじめてがよかった、とパンを齧る。
「わがままな人ね」
「こんな私は嫌いかい?」
「人間味があって好きよ」
「それなら良かった。君に嫌われたら、私、立ち直れる自信がないもの」
「あら、嫌われるようなことをしたのかしら」
「した覚えはないよ。でも、なんて言うんだっけ? キンセンに触れるって言うだろう?」
「ああ、そういうことね。あなたははっきり教えてくれるから、何も気にしたことがないわ」
隠れてコソコソされる方がよほど嫌だわ。そう告げる彼女に、それだけはあり得ないから安心してよ、とヴィンチェンツォは笑ってパンを飲み込む。
二枚目のパンを手にしながら、仕事が終わったら連絡してね、とヴィンチェンツォが言うと、分かったわ、と絢瀬は頷く。
「あのパン屋、ガットの食パンもおいしいけど、焼き印のついたクリームパンもおいしいわよね」
「そうだね。明日のコラツィオーネのためにクリームパンも買おうか……ああ、そうだ。バゲットを買おう」
「バゲット? また急にどうしたの」
「ふふ。寒いからシチューにしようかなって。シチューにはバゲットが必須だよ」
ブラウンとホワイトのどっちがいいかな。ヴィンチェンツォの提案に、絢瀬は豚肉とりんごのブラウンシチューがいいわ、と彼女の母親が彼に教えたそれを口にした。