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「たぬきケーキと、それからチョコレートケーキを二つずつと……あら、ガトーショコラも今日は残っていたのね」
「バレンタインだからねえ。いつもより多めに用意しておいたんだよ」
「そうなのね。なら、ガトーショコラも二つ」
「チョコレートケーキとガトーショコラが二つずつね」
絢瀬は自宅から少し歩いたところにある、小さな個人経営のケーキ屋に来ていた。バタークリームで作られたたぬきの形をしたケーキがかわいい、と近隣で人気の店だ。ヴィンチェンツォもお気に入りの店だ。
彼のお気に入りのケーキと、季節行事に合わせたケーキを二種類買う。店主とも顔馴染みなのもあり、ヴィンスさん昨日スーパーで見かけたよ、と報告される。背が高ければ、筋肉で膨らんだ体だから、すぐにわかるのだろう。こうして絢瀬にどこで見かけた、と報告されることもしばしばだ。
「昨日からずっとソワソワしていたでしょう? あの人」
「そうだねえ。デパートでチョコレート買うんだ、って言ってたなあ」
「この時期になると、世界中のおいしいチョコレートが日本に集まるから楽しいらしいわよ。バレンタイン商戦様々だわね」
「はは。製菓業的には彼のような人はありがたいんだけどね。それにしても、女性だらけのバレンタインコーナーに一人で行けるのは、すこし羨ましいかな」
「一緒に行くと、ちっとも浮いてないのよね、あの空間で」
あんなに筋肉だるまなのに、不思議なものね。
絢瀬がトレイに札と小銭を置きながらそう言えば、店主はヴィンスくんらしいね、と笑いながらレシートを返す。
ケーキの入った箱を受け取り、絢瀬は店を後にする。しっかり保冷剤の入ったその箱を抱えて、絢瀬は自宅のあるマンションに向かう。
バレンタインを二日先に控えた土曜日。休みの日だというのに、朝早くからヴィンチェンツォはデパートに向かっていった。バレンタインフェアは早く行かないとダメなんだよ、と言った彼の顔には、隠しきれない喜色が浮かんでいて、絢瀬は苦笑しきりだった。
恋する乙女たちが告白のために買いに走ったり、甘いものが好きな女性がたまのご褒美に買い求めたり、意中の相手を射落とすためであったり、恋敵へのマウントであったり……さまざまな思惑がひしめき合うバレンタインフェアも、ヴィンチェンツォからすれば、世界的パティシエのチョコレートが日本にいながら手に入る素晴らしいフェアでしかなかった。
彼自身の甘くて素敵なものが食べたい気持ちを否定する気持ちなど微塵もない絢瀬は、彼を見送って近所のケーキ屋の開店に備えていたのだ。
「高いチョコレートも嫌いじゃないけど、口直しにケーキもいいものよね」
冷蔵庫にケーキの箱をしまいながら、絢瀬はコーヒーを淹れる。どうやら、まだフェアを彷徨いているらしい恋人は帰ってきていない。きっと、気に入っているチョコレートを買うために並んでいるのだろう。
テレビをつければ、バレンタイン一色のデパートの催事場が出てくる。この後、さんざんチョコレートの匂いを嗅ぐのだから、と絢瀬は番組を切り替える。
ぱっ、と表示されたのはスポーツ番組だった。そういえば四年に一度のスポーツの祭典の季節だったな、と絢瀬はリモコンをローテーブルに置く。冬季ならではの競技の解説と実況を聞きながら、絢瀬はウィンタースポーツはもう何年もご無沙汰だな、とコーヒーを啜る。
金メダルを獲った選手のハイライトを見ていると、玄関の方で音がする。足音がどんどん近づいてきて、リビングのドアが開けられる。ダイニングテーブルに荷物が置かれる音がして、絢瀬が振り返るよりも早く、丸太のように太い腕が彼女の体を抱き締める。
「ただいま。外、寒かったよ」
「おかえりなさい。冷蔵庫にケーキがあるわよ」
「やったね。アヤセからのバレンタインだ」
「あら、自分でチョコレートを買いに行くのに、わたしからのチョコレートもほしいのかしら」
欲しがりさんね。そう絢瀬がヴィンチェンツォのしっかりした鼻先を掴むと、好きな人からもらえるものはなんだって嬉しいよ、と彼はほっそりしたその手を掴んで指先にキスをする。
「今年は何のチョコレートを買ってきたのかしら」
「ふふ。日本酒を使ったボンボンと、君が好きって言ってたチョコレートだよ」
「あら、日本酒のボンボンなんて気になるわね」
「そうだろう? ……ああ、日本人が金メダルを獲ったのかい?」
「え? ああ、そうらしいわね。わたしがつけた時には、授賞式終わってたから……」
「そうなんだ」
ウィンタースポーツもいいよねえ。そんなことを言う彼に、同じこと考えていたな、と絢瀬はくすくす笑う。
どうしたのさ、とヴィンチェンツォに言われて、絢瀬は同じこと考えていたから、と返事をする。以心伝心ってやつかな、と彼は絢瀬の唇にキスをしながらソファーに腰を下ろす。
「ウィンタースポーツ、いいわよね。スキーでもしに行く?」
「いいね。装備を借りられるところから探さないとね」
「そうね。ああ、でも今の時期だと混んでるのかしら?」
「どうなんだろう。スキーヤー多いのかなあ」
多いなら春先でもスキーができるところ探すかい、と提案するヴィンチェンツォに絢瀬は春スキーも楽しそうね、と笑うのだった。