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それから二日後のことだった。
アオキの仕事がひと段落ついて、帰宅する連休最終日まで二日ほど余裕がある日に、二人はフエンタウンを訪れていた。
一度訪れてことがあるというアオキが、連れてきていた飛行タイプのポケモンの背に乗り、ホウエン地方の高い空を飛ぶ。イキリンコのそらをとぶタクシーとは違う、一体のポケモンの背に跨り空を飛ぶのは少し不安はあったが、貸し出されたトロピウスの背はしっかりとしていて、ペパーが跨っても安定感があった。
「ポケモンの背中に乗って空を飛ぶ、って考えたこともなかったけど、これはこれで楽しいって言うか……ちょっと怖いって言うか……」
「ああ、ペパーさんは生まれも育ちもパルデアでしたね。カントーなどでは、自分たちのポケモンに跨って飛ぶのは珍しいことではないですよ。そのために空を飛んで移動するために定められた空路がありますし、交通整理の仕事もあります」
「そういや、来る途中で居たなあ……整理してる人。高いとこって寒いから、本当にお疲れちゃんだぜ」
温泉特有の硫黄の嗅ぎ慣れない匂いに、ペパーは形のいいすっ、と通った鼻をひくつかせては不思議そうに首を傾げる。
やっと見慣れてきたホウエン地方のポケモンセンター。その裏手にある石造りの塀の向こうから、ゆらゆらと白い湯気が立っているのが見える。あれが温泉か、とペパーがアオキに尋ねるとそうだと頷く。
ポケモンセンターの自動ドアを潜り、二人はジョーイさんに温泉を利用したい旨を伝える。自由に使えるらしく、貸し出し用のバスタオルとフェイスタオルを渡される。ポケモンも入れるのか、とペパーが尋ねると、人用とポケモン用は別の湯船であり、トレーナーがポケモンに変調が起きていないか見ていることが条件で入れるのだと返ってくる。ボールの中のマフィティフたちに、後で入ろうな、と声をかけると、かたかたと連れてきた仲間たちはボールを揺らして賛同する。
タオルを片手に男湯の暖簾を潜り、二人は着ていた服を脱いで鍵付きのロッカーに仕舞う。温泉を楽しんでいたらしい老人たちが、扇風機の前を陣取ってなにやら話し込んでいるのをよそにドアを開けて、早速温泉に入ろうとするペパーをアオキは呼び止める。
「どうしたんだよ?」
「タオルは一枚持って行ったほうがいいですよ」
「? ああ、そうか。びたびたでロッカーまで歩くわけにいかないもんな」
左手にロッカーの鍵を通して、フェイスタオルを持って、二人は引き戸を開ける。むわっと暖かい空気が出迎えてくれる。ペパーはアオキの見様見真似なりに掛け湯をして体を洗う。
洗った髪をまとめたペパーは、そろそろと湯の中に沈む。アオキは適当な石の上にタオルを置いて、既に肩まで湯に浸かっている。随分リラックスしているようで、表情は無表情ながら穏やかな色を浮かべている。
熱すぎず、それでいてぬるくないのに、体を芯から温めてくる透明の湯を掬って、ペパーは顔を洗う。肩まで浸かれば、外に出している顔だけが外の空気で冷やされて気持ちがいい。
「あったけえ……これは疲れが取れちまうな……」
「温泉もたまにはいいですね……」
「カイナシティでまたお礼言わないと……それにしても、足伸ばせるっていいな」
「そうですね。どうしても自宅の浴槽では、足が伸ばせませんから」
二人は足を満足に伸ばせる環境に頷きあう。広い露天風呂は、今は二人だけで貸切状態だ。それでも、少し声を潜めてしまうのは、屋外だからだろうか。
「アオキさん、意外と背があるもんな。オレ、シャワーで十分だと思ってたけど、アオキさんちでバスタブに入るようになってから、アカデミーのバスルームにあるバスタブも使うようになったんだぜ」
「湯を張る手間はありますが、やはり疲れがとれますからね……ふー……」
「……アオキさん、なんか今にも溶けちゃいそうだな? メタモンちゃんか? それともゴクリンちゃんか?」
「シャワーズかもしれません……日頃の疲れが……」
「ああ……お疲れちゃんだぜ……」
日頃のアオキの激務の一部を見聞きしているペパーは、でろでろに溶け落ちそうなアオキを見て苦笑する。シャワーズの「とける」のように湯に溶けそうなアオキに、バスタブを利用する習慣がまだ浅いペパーは、芯から暖まる感覚に若干の気持ち悪さを覚える。
無理をして付き合うべきではないことを散々に言われたこともあり、ペパーは先にあがると告げる。それを聞いたアオキもまた、このままだと寝てしまいそうだと言って立ち上がる。
フェイスタオルで体を軽く拭い、ロッカーの鍵を開けてバスタオルで体を拭く。下着だけ履いて、アオキは髪を乾かしに行く。短いとタオルドライの時間も短くていいよな、と思いつつ、ペパーはしっかりタオルで髪の水分を吸収させる。方方に跳ねているふわふわの髪が、すっかりぺしょぺしょにへたっている。
ドライヤーを使うためにアオキのそばに行けば、7割がた乾いたらしく、ちょうどドライヤーを譲られる。備え付けのブラシで軽く髪を流した彼は、温風で髪を乾かしているペパーを鏡越しにちら、と見る。毛量が多いからか、なかなか乾くのに時間がかかるようだ。髪の間に手を差し込んで、わしわしと振るっている。
まだ乾くまでに時間がかかるようだから、とアオキは先に紺のスラックスを履いてインナーシャツを着る。いつものシャツのボタンを留めていると、乾かし終わったらしいペパーが戻ってくる。同じようにライトベージュのチノパンを履いて、インナーシャツを着てからTシャツを着る。あまり私服は持っていないから、と言っていたが、どこかマフィティフを連想させる黒と茶色のツートーンのTシャツを着た彼は、アオキさんあれなんだ、と自動販売機を指差す。
スラックスの中にシャツを仕舞ってベルトをしたアオキは、あれ、と指差された自動販売機を見る。陳列されているのはおいしい水もあるが、目を引くのは牛乳瓶だ。
「あれは牛乳ですね。温泉にはよくあります」
「ミルク? なんでだ?」
「なぜでしょうね……ただ、風呂上がりには牛乳を飲むのは通過儀礼といいますか、慣例といいますか……」
「脱水防止とかなのかな……まあ、いいや。買ってみるか」
そういうと、ペパーは財布から小銭を取り出して自動販売機に向かう。久しぶりに飲むのもいいかもしれない、とアオキもそれについていく。フルーツ牛乳にするか、コーヒー牛乳にするか悩んでいるペパーに、ノーマルな牛乳を買うつもりだったアオキは、思わず口をついて言葉が出る。自分がコーヒー牛乳を買うから一口飲めばいい、と。
その言葉にキラキラと目を輝かせるペパーは、ありがとう、と言うとフルーツ牛乳のボタンを押す。がたん、と取り出し口に落ちた牛乳を取り出す。蓋を開けようと苦戦している彼に、自動販売機の側面にあった蓋を取るための針のついたそれを手にしたアオキが蓋を取ってやる。
「そうやって取るのか。助かったぜ」
「どういたしまして。知らんと分からんですよね」
「だな。……ん、なんか、こう……」
「どうしました?」
「なんのフルーツだ、って言われると困るんだけど、すごいこう……フルーツだなって味がする……」
「フルーツ牛乳なんてそんなものですよ。ジュースのフルーツミックスだって、何のフルーツか特定できんですが、フルーツらしい味がするでしょう」
「そうなんだけどさあ。あ、いいのか? アオキさん、飲んでないだろ、まだ」
「構わんですよ。どうぞ」
アオキから差し出されたコーヒー牛乳を一口飲んだペパーは、カフェオレとはまた違う味がする、と首を捻るのだった。