すり、と耳の付け根を撫でられて、ヴィンチェンツォはまただ、と思う。
絢瀬と並んでソファーに座っていても、それぞれ別のことをしているときは多々ある。そんな、隣り合っていながらも、別のことをしているときにそれは起こるのだ。
例えば、のんびりテレビを見ているときだったり、読書をしているときだったりと様々な場合がある。ゲームをしているときに触られることも時折ある。
(気がついてないんだろうなあ)
そう、絢瀬がスマートフォンを操作しているときに、時折ヴィンチェンツォの耳を撫でてきたり、顎の下を撫でてくるのだ。
どうやら無意識のようで、指摘して始めて気がついている。指摘するたびに、しばらく触られなくなるのだが、それはそれでなんとももったいない気持ちになるのだ。普段、積極的に触れてこないからだろう。ヴィンチェンツォは彼女から触ってくれるのが、どのような形でも楽しいのだ。
今も、絢瀬はスマートフォンを操作している。ちら、とテレビの液晶画面から目をそらして覗き込むと、どうやらレシピサイトを覗いているらしい。素人投稿系のサイトは、絢瀬のように料理が苦手な人には向いていないから辞めた方が良いよ、と思ったけれど、見ているのは投稿型のレシピサイトではなさそうだったので、まあいいか、とそのままにしておく。
レシピサイトを見ながら、絢瀬の右手はヴィンチェンツォの顎髭を触っている。さわさわと確かめるように撫でられると、なんとも言えない柔らかい気持ちが胸いっぱいに広がる。
顎髭を好きに触らせたまま、ヴィンチェンツォは上体を絢瀬の方に軽く倒す。こつん、と彼女の頭を引き寄せながら、絢瀬が持っているスマートフォンの画面を見る。
「おいしそうだね。なんていう料理なんだい?」
「ええと……かぼちゃのラペですって。ほら、この間テレビでやっていたでしょう?」
「ああ、そういえばやっていたねえ。ラペっていうと、ニンジンのイメージしかなかったけど、かぼちゃでもおいしそうだね」
「ニンジン?」
「ほら、たまに私作ってるじゃないか」
ニンジンの細切りにしたアレ。
ヴィンチェンツォが教えてやると、ああ、と絢瀬は合点がいったように頷く。ちょうど今日の夕飯に出ていたのもあるだろう。
「あれ、ラペっていうのね。千切りのサラダだと思っていたわ」
「まあ、フランス語で千切りとか、細切りとか、そういう意味だっていうし、似たようなものじゃないかな」
「なら、だいたい合ってるわね」
「八割くらい合ってるんじゃないかな」
でも、かぼちゃを細切りにするのは、ちょっと苦労すると思うよ。
ヴィンチェンツォは絢瀬のスマートフォンを見ながら唸る。かぼちゃはそれなりに硬い食材だ。ひとつまるまる買うのは、力に自信のあるヴィンチェンツォでも少し躊躇う。
細切りのかぼちゃが売られててもいいのにね、と絢瀬が言えば、お店の人も大変だろうからねえ、と返す。
「スライスしてあるのがたまにあるし、それだけでもありがたいよ」
「そんなものなのかしら」
「あれ? アヤセ、一人暮らししていたときに……ああ、そういや君、千切りキャベツ買ってマヨネーズだけで食べていたね……」
「失礼ね。サラダチキンもつけていたわよ」
栄養バランスには気をつけていたわ。
目線を逸らしながら言う絢瀬に、それはバランス悪くないかい、とヴィンチェンツォは笑いながら言う。野菜を食べろ、というのはキャベツを食べていればいいというものではないのだ。
適量が苦手で、味つけに苦労する彼女の一人暮らし時代を想像して、くすりと笑う。よく病気しなかったね、と言えば、手洗いうがいは基本でしょ、と返ってくる。
「手洗いうがいを徹底していれば、早々引かないわよ。風邪もインフルエンザも」
「そんなものかな」
「そんなものよ。ああ、でもインフルエンザのワクチン接種はいくべきだわ」
「……どうしても?」
「どうしても、よ。二年前大変だったじゃない」
あなたの看病は嫌いじゃないけど、一緒に眠れないのは寂しいわよ。
絢瀬のほっそりした手が、ヴィンチェンツォの頬を撫でる。そのまま顎下をくすぐられて、私は猫じゃないよ、と言いながら、彼は絢瀬の肩を引き寄せる。
「あの時は大変だったね。君に感染(うつ)すわけにいかないから、私一人でゲストルームに居てさ。寂しかったなあ」
「そうでしょう? あれだって、あなたが行きたくないって言ったからよ?」
「本当、自業自得だよね。今年もちゃんと受けに行くよ……行ったら、ご褒美欲しいなあ」
「まったく……しょうがない人ね」
覚えていたらね。
そう答えて、絢瀬はヴィンチェンツォの鼻先に口付ける。こっちがいいよ、と彼はすぐに彼女の唇を奪いにいく。
「それより、かぼちゃのラペだよ。食べたいのかい?」
「ああ。忘れてたわ」
「忘れてたのかい。まあ、私がそばにいるから仕方ないね」
「本当、あなたって自信家ね……火を使わないなら、わたしにも作れるかなって」
「作れるとは思うけど……包丁使うし、なによりこのレシピの調味料、適量としか書いてないよ?」
アヤセ、適量が一番苦手じゃないか。
ヴィンチェンツォが不思議そうにそう言うと、絢瀬はレシピをもう一度まじまじと見る。彼が指摘したように、そのレシピの調味料――ポン酢とオリーブオイルは適量としか書いていなかった。
その単語を見た絢瀬は、適量ってなんなのかしらね、とブラウザバックする。不貞腐れた彼女の様子に、ヴィンチェンツォはくつくつと笑ってしまった。