ちらちら、と見られていることには慣れている。どんなに訓練された人間であっても、目の前の男には視線を向けざるを得ないのだ。これはそういう外見をしているのだから。
紫がかった黒髪は、染めることなど一度もしたことがないような美しさだ。重たげな前髪に半ば隠された細い眉は、緩く弧を描いて男の印象を穏やかなものにしている。
小さな顔。白いミルクにはちみつを溶かしたような肌は、きめ細やかで世の女性が羨むものだ。男らしく大きな手は、どこか女性らしさを含んだ中性的な美しさを持っている。ペンを動かす指は、関節の形すら美しく、ペンだこなんて出来たことがないだろう。
きゅ、と引き締められた口は小さく、唇は薄い。名前を名乗った時にちらと見えた舌は、燃えるように赤くて、その色の差が眩しいほどだ。
左右対称の美しい顔立ちに相応しいといえる、ほっそりとした長身痩躯。やや痩せ気味だが、姿勢はいい。立ち姿までが美しく、よほど性根が捻くれていなければ、この男を美しくないとは言えないだろう。
しかし、一つ欠点があった。形のいい眉の下、灰色の目には何一つ感情が浮かんでおらず、付随して顔全体にも表情が削げ落ちているのだ。まるで精密にできた人形のような――人ならざるものの印象を強く与える。千種川雅貴(ちくさがわ・まさき)という男は、美しくも近寄り難い印象を与える生き物だった。
(観賞用の男だよね、本当)
そんなことを考えながら、美しい男の隣に立つ女もまた、人目を引くものだった。あらゆる肉欲を押し固め、削りだしたのならばきっと彼女の形になるのだろう。そう思わせる体つきだった。
ショートブーツに包まれたふくらはぎから下は見えないが、膝から上、太ももまで筋肉の上に乗った脂肪はむっちりとしていて、触れたのなら気持ちよくなれるだろうと思わせる。意外と太く、がっしりとした太ももは、その上の尻を支えるためだというのが見れば分かるだろう。
たっぷりと肉のついた尻は、それでも重力に負けることなく上を向いている。腰から急にカーブを描くように後ろに突き出したヒップは、太ももと同じくタイトなパンツルックでは目に毒だ。周囲の男はそれとなく目を逸らしつつも、彼女の豊かな臀部に目線を向けている。
シャツとパンツの隙間から見えるくびれた腰は、健康的に引き締まっており、胸と臀部を強調するようなコントラストが肉欲を刺激する。
胸はロケットのように突き出し、柔らかな肉をシャツからあふれんばかりに見せつけている。シャツのボタンが閉まらないからだろう、日焼けした北半球を堂々と見せつけるそれは、ブラジャーによって柔肉を寄せ集められ、深いI字の谷間を生み出している。
日焼けした肌に黒のシャツ、黒のタイトなパンツルックは酷く扇情的だ。それは、彼女がどこか気怠げな仕草をするからかもしれない。
豊かな腰まであるアッシュグレイの長い髪は、ゆるくウェーブしている。毛先の方は鮮やかなスカイブルーに染められたそれは、繰り返し染められているだろうにも関わらず、切れ毛ひとつない。
小さな顔に高く通った鼻、眉尻の下がった眉の下、ぱっちりとした垂れた目は、明るい灰色。ふぅー……と息を吐く唇はぽってりとしている。隣に立つ男ほどではないが、彼女の顔もまた整っている。
栫井優(かこい・ゆう)という名前の彼女が、成熟しきった美しい体つきであるが、実年齢はまだ保護されるべき高校生であるというのが、にわかには信じがたい。下品と美しさの黄金比でできている肉体は、彼女の年齢を分からないものにしていた。
対応したフロントマンは、目のやりどころに困る女を連れた、この上なく顔のいい男をどう思っているのかはともかく、立派に彼らが予約した部屋の案内をするという仕事をやり遂げる。
ルームキーを受け取った千種川は、女物のボストンバッグを抱え直して、優にルームキーを手渡す。受け取った彼女は、荷物を抱える代わりに彼の腕に自らの腕を絡める。
腕を絡めるだけで手は繋がない。そんな二人はエレベーターに乗り込むと、用意された部屋に向かうのだった。
じっ、と重力が身体にかかる感覚を受けながら、優はエレベーターの階数を示す画面を見ている。電光表示板の数字は、ゆっくりとだがその数字を大きくしている。
ただでさえ地上十八階の高さに位置するそのホテルの最上階の部屋を予約した彼に、なにをされるのやらと優はため息を吐く。普通ならば、眉目秀麗で誠実な男にこのような――まるでプロポーズのようなことをされたならば、心ときめくものがあるのかもしれないが、この男にはそのようなことをするはずがないのだ。
優と千種川の関係はひどく歪だ。性行為はするが、そこに愛などというものはなく、恋をしていないというには、二人の距離は恋人や兄弟よりも近いものがあった。
そもそも、優と千種川の出会いは至ってシンプルなものだ。祖母の見舞いに行った先が、千種川の入院先だったのだ。記憶を失っている彼に、話し相手になって欲しい、と頼まれてから歪な関係が続いている。
(まあ、説明はしがたい関係でも、居心地はいいからなあ……)
妙な関係だといえばそれまでだが、その関係を優は心地良く思っていた。だからこそ、あからさまに高級志向のホテルに連れ込まれたのが不思議なのだ。ただ性行為をするだけなら、いつものように安いファッションホテルでも使えばいいのだ。
だからといって、それを直接問いただすのも面倒で、金を払わなくて良いなら高いホテルでのんびり過ごしてやろう――なんて考えて優は千種川に着いてきていた。
「どうぞ」
「ん? ああ、ここなんだ」
「はい、そのようです」
「うわ、広っ。わ、ベッドおっきい」
まさに絶景と言える光景が見える窓ガラスよりも、彼女はベッドに興味があった。昼のビル群を見るより、夜の方が映える――そんなことを考えてのことではない。ただ、彼女は立っているのに飽きただけである。
ごろん、とクイーンサイズのベッドに真っ先に転がった彼女の足から、千種川は靴を脱がせる。白いリボンのついた高いソールのサンダルは、夏に向けて先週買いに行ったものだ。
靴から解放された足をベッドに引き上げながら、優は仰向けに転がる。枕に右手を投げ出したまま、優は口火を切る。先ほどまで面倒だったことを問いただすためだ。
面倒だったのは、彼が万が一、億に一、逆上しないとは限らなかったからであり、部屋に連れ込むことに成功した今ならば、問いただしても逆上しないと踏んだからだ。
「あなた以外の人間に、聞かれるわけにはいかない話をするからです」
「ああ……たしかにこれだけ広い部屋で、何より高いホテルだもんね。たしかに他人には聞かれることはないか」
「はい」
「で、わざわざこんないいホテル予約してくれたんだ。しかも、アーリーチェックインだから、余計にお金かけてまでさ」
「ええ。どうせ一昼夜の間ぼくの話を聞いてもらうのですから、せめてくつろいでいただきたかったものでして」
「へえー。そんなに長くかかる話なんだ」
何聞かされるんだろ。
ゲラゲラ笑いながらも、興味なさそうに彼女は大の字から身体を起こす。彼女のそばに置いてくれたiPhoneに目もくれず、優は千種川の目を見る。
千種川の灰色の目には何も浮かんでいない。虚無のように凪いでいるその目を見ながら、彼女は話してみなよ、と口を開く。
「……あなたは、地球が属する太陽系を含む、天の川銀河の外に、自分と同じ――それ以上の高度な知識と知恵、技術を持つ文明があると聞いて、どのように思いますか?」