受け持っているクラスの生徒に、一人、ひどく目立つ生徒がいる。
どのクラスにも一人二人、良くも悪くもクラスの中心となる意味で目立つ生徒はいるものだ。しかし、彼女は中心になるわけではないが、外見が派手で、兎角目立つ生徒なのだ。
教師という職業は聖人視されやすいが、そんなものではない。我々はそもそも一般市民であり、徳を積む僧侶でも、神に祈りを捧げる宗教人ではない。蹂躙したいという欲望は人並みに持っており、ただそれを理性と良識の名の下に生徒の前では出さないだけに過ぎない。
しかし、彼女は理性と良識を最上位に持ってきてなお、蹂躙しつくし、奪い尽くしたいと思わせる魅力で満ちていた。迂闊に触れたなら、足元から崩れ落ちるような、破滅の香りを纏っていた。
栫井優(かこい・ゆう)
それが、破滅を誘う彼女の名前だ。
年頃の女子にしたって豊満な胸の膨らみ。筋肉と脂肪の黄金比の元に造られた太腿の上に、脂肪の詰まった双丘。若さの階段を登っている途中の肢体であるがゆえに、加齢による垂れ下がりなどもなく、この仕事についていなければ、おそらくむしゃぶりついていたかもしれない。おそらくではない、きっと、そうだろう。理性と良識でもって犯罪をなさない成人男性の鋼の良心のもと、彼女は守られているのだ。
受け持っているクラスをはじめとした、学校中でしばしば聞こえてくる下卑た噂を聞きながら、私は無理からぬ事だと思う。それもそうだろう。下半身に振り回されている年頃の男子生徒からすれば、脳みそを常に揺さぶられているような物なのだから。色香に満ちた、大半の男子生徒が求める女性像を具現化したような女子生徒がいれば、抜け駆けをしようとする生徒もいる。しかし、それらは全てすっぱりと栫井本人によって切り捨てられている。それが何度となく繰り返され、いつしか彼女へ告白をする生徒はいなくなった。
そうなると、今度は女子生徒からのやっかみが出てくる。人気のある男子生徒が彼女に振られたという話から、彼女に対する精神面でのいじめすらあった。彼女を一方的に敵視したそれらは、彼女を擁護しようとする立場の生徒も出てきて、一時は一触即発だった。
彼女を擁護することで自身の価値をあげようとする売名目的の生徒もいれば、いじめをなくそうとする純粋な正義感からくる生徒もいた。それらと、彼女を排斥することで、彼女よりも優位な地位にいようとする生徒との静かなる抗争は、火種が燃えさかる前に終わったのだった。
――栫井優には既に男がいる。
その噂話は、いつから流れてきた話なのか定かではない。気がついたら流れていて、気がついたら誰もが知っている噂だった。
それが事実であるかどうかはどうでもよく、ただ、彼女には既に男がいるという内容だけが苛烈な彼女の排斥活動を止めたのだ。一人の男だけを相手にする一途なところがあるとか、まあ適当なことで盛り上がっていたのは去年のことだ。
今年のはじめにきた転校生はそれを知らなかったようだが――まあ、それは噂に興味がなかった本人が悪いとしか言えなかった。惚れているのは知っていたが、誰もがあの女には先客かいると止めていたのだから。
なぜ、今そんなことを考えているのかというと、向かいの席にいる男性教諭に彼女がいるからだ。ブレザーのジャケットのボタンは締めず、ブラウスは第三ボタンから締めている関係で、日焼けした乳房の上の方が見えている。当然、リボンはしていない。一見すればだらしない格好ではあるし、それを快く思わない生徒や教師もいる。しかし、面と向かって彼女に注意をする人間はいない。
彼女には何を言っても暖簾に腕押しなところがあるからで、執拗に言うほどこちらが疲弊するのだ。糠に釘を打つような手応えのなさに、はじめこそ熱意を込めて彼女に言葉をぶつけていた教師ほど、心が折れていくのを見てきた。
「栫井。悪いな、わざわざ持ってきて貰って」
「別にぃ。係だからしょーがなくない?」
栫井はクラスで回収してきたであろう、わら半紙でできたプリントを手渡している。男性教諭の目線はちらちらと下を向きそうになっていて、まあ若いから仕方がないなと思ってしまう。渡すものを渡した栫井は、そんな視線など興味なさげに、けだるげに髪をかき上げる。
頭髪に関する校則があれば、あきらかに校則違反のアッシュグレイの髪に青いメッシュ。この学校に頭髪に関する校則がないからこそできる髪型だ。意外と、彼女はそういうところはしっかりしていて、破ることはない。制服の着こなしについては、成長した体つきの問題なのだろう。
じゃあね、とプリントを置いて栫井は職員室をあとにする。彼女が去って行って、妙に静まりかえっていた職員室内がゆるゆるとその硬直した空気をほぐしていく。不思議と彼女がいると空気が強張る。それがなぜなのかは、私は理解したいとは思わなかった。