「昨日は花火の日でした。ご存知でしたか?」
「花火? あれって八月じゃなかった?」
「はい、八月にもありますが、五月にもあります。厳密には、旧暦の七月ですが」
「ああ、旧暦か。旧暦だと、日にちがズレるんだっけ」
「はい。新暦、グレゴリオ暦は地球の公転を基準に計算されていますが、旧暦は月の満ち欠けを基準にしています。だからこそ、一年を十二で割ると十一日少なくなります」
そこで千種川は一度言葉を切ると、続けてもいいでしょうか、と尋ねてくる。以前、一息に長い説明を話した際、優が途中で飽きたことを知っているからだろう。その時はあからさまにiPhoneをいじり、話を聞く姿勢を辞めたことについて尋ね、話が長すぎる、と言われたのだ。
いいわよ、と続きを促され、千種川はペットボトルの水を嚥下して口を開く。
「それでは続けます。そのまま十二ヶ月では真夏に新年を迎える計算になるため、三年に一度閏月を迎えていたとのことです」
「今の閏日と同じ考えか。昔の人も考えるもんだよね」
「はい。しかし、それでも現在のグレゴリオ暦とは二十日から五十日ほどずれが生じます。そのため、五月に花火の日が来る、ということが起きます」
「なるほどね。ちなみに、今日の花火の日って、なにかきっかけがあるの?」
ベッドの上で転がっている優は、花火の日の由来を話すよう促す。昨日が花火の日であったなら、この男はその由来程度は知っているはずだ。そう考えてのことだった。
実際、その通りである。千種川は話のきっかけになるようなことを口にするときは、それについての下調べは既に済んでいるのだから。
「はい。これは享保十八年、」
「西暦にして」
「西暦一七三三年、隅田川・両国橋付近での水神祭りにおいて、慰霊を兼ねた花火が打ち上げられたことに由来されます」
「慰霊? ……ああ、そういや、大飢饉があったんだっけ」
「はい、その通りです。大飢饉とコレラの大流行により、多数の死者が出ました。その魂を慰めるために打ち上げられた花火が、昨日の花火の日の由来ですね」
「へー。本当、あんたってさ、そういう雑学に詳しいよね」
ベッドの上でごろごろと転がりながら、優は話す。その様子は、先ほどまで借りた休憩用のラブホテルにふさわしい行為をしていたとは思えない。
一糸纏わぬ豪奢な身体を晒しながら褒めている優に、千種川は、はい、とだけ返す。彼は優と違い、既に服を着ていた。
「会話のきっかけは、こういった興味をそそるネタからだと、あなたが言っていたので、参考にしました」
「あー、そういやそんなことも言ったような気がする。なに、あんた、あたしとおしゃべりしたかったんだ?」
「はい。あなたと話したかったので、興味を持っていただけそうなものを探してみました」
あなたは流行のものよりも、こういった内容の方を好むようですから。
そう言い切る千種川に、そう見えてんの、と胡乱げな顔で返す優。違いましたか、と彼が尋ねれば、あながち間違いじゃないかもね、とだけ返す。
「フツーさ、あたしの見てくれなら、流行の飲み物とか、食べ物とか……そういうのを勧めてくるんだよね」
「なるほど。そちらの方がよかったのなら、今後はそうしますが」
「流行ものはさー、並ぶじゃん。アレ、あたし嫌いなんだよね。時間を潰すのは嫌いじゃないし、だらだらするのは好きだけど、店先で並ぶのってさ、暇だけど寝られるわけじゃないじゃん」
あんたには分かんないだろうけどさ。優の発言に、少しだけ悩む素振りをして、千種川は頷く。彼からすれば、だらだら時間を潰すことと、店先で並んでいる間に時間を潰すことも大差ないからだ。
「あたし、暇なら寝たい人だからさ。流行りのところに連れてかれるの、好きじゃないんだよね」
「なるほど。すなわち、今後もあなたの気を引きたいならば、雑学がいいと言うことでしょうか?」
「乱暴なまとめ方だけど、まあそう言うことだよね」
「その割には、以前スターバックスで並んだ時はあまり退屈そうではないようでしたが」
「だって、アレはあたしが飲みたいから並んだんだよ」
「自発的な行為であれば、並ぶことは嫌いではない、と」
「そういうこと」
いい加減シャワー浴びてこよ。
そう言うと、優は立ち上がる。ベッドから降りると、すたすたとバスルームに消えていく。
しばらくすると、バスルームからシャワーの音が聞こえてくる。水が勢いよく流れている音を聞きながら、千種川は取り付けられた次回の約束までに、新しい雑学を仕入れるなら何がいいか、手元のスマートフォンで検索した。