絢瀬と修子と叶渚(かんな)は休日なのをいいことに、ランチをしていた。職場からほど近い商業ビルに、新しいカフェレストランが入ったのを、新しい物好きの叶渚は耳ざとく聞きつけたのだ。
叶渚の声かけもあり、三人はこうして土曜日のランチタイムに、新規オープンしたカフェレストランに集まったのだ。
「色々あるんですね。わ、このサンドイッチ美味しそうですね」
「あら、本当ね。鶏肉がいっぱい入ってるのね」
「これにしようかな……うん、これにします。お二人は?」
「あたしはそうだなあ……えー、パスタも気になるんだよね。カーチョエペペ、ってなんだろ。絢瀬知ってる?」
あんたの彼氏、イタリア人なんでしょ。
そう続いた言葉に苦笑しながら、絢瀬は口を開く。カチョは削ることができるチーズのこと、と。ぺぺは胡椒だと。
「ようはチーズと胡椒のパスタね」
「ふうん? あれ? それじゃあカルボナーラとどう違うの?」
「乱暴に言えば、カチョエペペは簡易カルボナーラね。ローマの郷土料理よ」
「へえー、そうなんだ。気になるし、これにしよ」
絢瀬のまとめに納得したのか、叶渚はパスタのページから顔を上げる。
絢瀬は、ようやっと手元に回ってきたメニュー表を開く。イタリアンが多めのメニューを見ながら、ふうん、と品定めをする。
「てか、やっぱ彼氏がイタリア人だと料理もそっちが多いの?」
「あ、それ気になります」
「だよね。流石に三食パスタとかはないだろうけどさ」
「そうでもないわよ? ヴィンス、日本食も好きだから、わりと並ぶわよ、味噌汁と鯖の塩焼き」
「えっ、なんか意外」
叶渚は目を丸くして驚き、修子はどことなく納得した顔をしている。以前、ショッピングモール内で出会った時に、彼が干物を見ていたことを思い出したのかもしれない。
「前に干物を見ていらっしゃいましたもんね」
「ああ、修子さんは見ていたんだっけ。綺麗に食べるのよ、彼」
魚の骨とか器用にとるわよ。そう絢瀬が告げると、うちの旦那下手なんだよね、と叶渚が笑う。
「口に入れてから小さい骨出すんだわ。あれ、汚いし息子が真似するからやめて、って言ってんだけどさ、治んないのよ」
「ああ……うちの旦那もたまにやってますね。かと言って、最初から骨のないものを選んでると、いざ骨があるものに当たった時に、子どもが大変じゃないかと思うと……」
「それね。家の中ならボロボロにして取ってもいいけど、外だとちょっとみっともないし、練習兼ねて食べさせるしかないわよね」
「大変ね、子どもを持つと」
「あんたもいずれこっち側にくんのよ」
子育てと旦那の愚痴をこぼしている二人に、我関せずな絢瀬だったが、叶渚は唇を尖らせながら、修子は苦笑する。
そんな二人を意にも介さず、これにする、と絢瀬はメニューを決める。決めたのはペペロンチーノだった。
それを見て、そう言えば、と修子は口を開く。
「アーリオ・オーリオとペペロンチーノってどう違うんでしょう? お店だと同じものに見えるんですよね……」
「あー、気にしたことないけど、たしかにちょっと気になる」
「アーリオ・オーリオはソースのことよ。アーリオはニンニク、オーリオはオリーブオイル。ニンニクとオリーブオイルのソースね。これに唐辛子とパスタを加えると、ペペロンチーノよ」
イタリアだとアーリア・オーリオ・ペペロンチーノっていうもの。
すらすらと出てくる絢瀬に、二人はおお、と感心する。
「それじゃあ、ニンニクとオリーブオイルが入っていればアーリア・オーリオってつくんですね」
「そういや、小エビと白菜のアーリア・オーリオってメニュー見たことあるわ。そういうことなんだ」
「そうね。あくまでアーリア・オーリオはソースのことだもの。ソースがそれなら名前はそうなるわ」
「へえー。やっぱ、彼氏が彼氏だと詳しくなるもんだね」
「……そうね。細かく色々調べたわね」
本場で恥をかきたくなかったもの。
そう肩をすくめる絢瀬に、異文化恋愛も大変だと修子は思う。
「ああ、でも。やっぱり現地に行かないと、分からないこともたくさんあるわね」
「へえ。たとえば?」
「マンマの味とか」
あとソースの量は日本人が思うよりずいぶん控えめだとか。
そう笑いながら、絢瀬は呼び鈴を鳴らす。混み合い始めた店内に響いたそれは、店員の耳に届いたらしい。遠くから少々お待ち下さい、と声が飛んでくる。
「やっぱ、おふくろの味ってのはどこにでもあんのね。肉じゃが的な感じで」
「肉じゃがに限らず、家の個性が出る料理はあるんでしょうねぇ。ちなみに、イタリアだとどういうのが『おふくろの味』になるんですか?」
「そうね……トマトソースパスタだったかしら。酸味が強かったわね、特に作りたてのは」
「へえー。ちょっと気になるなあ。あたし、酸っぱいの好きだし」
「あ、それって、前にヴィンスさんからいただいたソースのレシピですか?」
「え、なになに、修子あんたそんなもんもらってんの」
「少し前にいただきまして……バレンタインのお礼だ、って」
「あのチョコレート、ずいぶんお気に召したみたいなの」
「ちょいちょい、話が見えないんだけど」
まずバレンタインに何があったのかを教えなさいよ。
ぶすっ、と頬を膨らました叶渚に、修子と絢瀬は顔を見合わせる。今年のバレンタインに二人が計画した内容をざっくりと説明すると、あたしも混ぜなさいよ、と叶渚が声をあげる。
来年は一緒に作りましょうね、と修子が宥めていると、店員が注文を聞きにくる。
「ペペロンチーノとカーチョエペペ、あとなんだっけ?」
「鶏肉のサンドイッチです。これです」
「あ、あと飲み物はカプチーノでいい?」
「いいわよ。修子さんもそれでいい?」
「あ、はい。お願いします。」
「カプチーノ三つで」
「かしこまりました。注文を復唱させていただきます。……」
店員が復唱を終えると、席から離れていく。三人は再び話に花を咲かせ始める。
「そういえば、絢瀬さん」
「なにかしら」
「前に朝カプチーノを飲んでるって言ってましたけど、なにか理由があるんですか?」
「ああ……たいしたことじゃないわよ。イタリア人の朝食についてくるのがカプチーノ、っていうだけだから」
「ああ! なるほど、そういうことなんですね」
「あれ? じゃあ、お昼とかには飲まないの?」
「飲むのは外国人くらいだって言ってたかしら……まあ、別に飲んではいけないってわけじゃないもの。でも、朝の十一時をすぎたらミルクの入った飲み物は飲まないわね」
「へえ、そうなんだ。てことは、ずっとコーヒーばっかり?」
「アメリカンコーヒーは薄いから嫌い、って飲まないけどね。飲むのはエスプレッソだけね。それか紅茶」
イタリアに行くと、カフェオレ頼むだけでも変な目で見られるわよ。
お冷を啜りながら、絢瀬は言う。エスプレッソばっかりって骨の芯までイタリアンだわ、と叶渚は苦笑する。
「それだと、夜もエスプレッソなんですか?」
「あー……最近は紅茶を飲んでるわね。わたしが夜は紅茶飲むからだけど」
「てことは、一人だとエスプレッソなんだ。寝れんのかね?」
「普通に寝てるわよ」
「すごいわ、それ。あたしカフェイン夜に入れるとさ、寝れねーのよ」
紅茶でもダメだわ。
そう言った叶渚に、ノンカフェインの紅茶ならいいんじゃないかと提案する絢瀬。ノンカフェインっておいしいのか、という彼女に、ちゃんと紅茶の味はしますよ、と添える修子。
「ふーん、試してみようかな」
「どうせなら、うちのを試したら? 月曜日持っていくけど」
「あ、じゃあそれ試すわ。あと、なんだっけ。さっき言ってたやつ」
「さっき言ってた……ああ、トマトソースですか?」
「それそれ。あたしも気になるから、彼氏くんさえよければさ、レシピ欲しいんだけど」
「頼んでみるわね」
取り止めのない話題が続いていく。
話題がコロコロ変わり、子どもたちの遊びの話になったところで、店員が注文した料理を持ってきて、三人の話は料理の話に切り替わっていった。