title by alkalism(http://girl.fem.jp/ism/)
縦にも横にも大きいヴィンチェンツォ・ガブリエーレ・フェッリーニは、ちょこんと床に胡座をかいて座ってもなお、はち切れんばかりにむちむちの筋肉が彼の大きさをより強調させていた。骨も太いので、余計に大きく見えるのもあるが。むちむちに膨らんだ筋肉を灰色のスウェットに包んだ彼は、にこにことした満面の笑顔で最愛の恋人を胡座をかいた足の間に納めていた。ほっそりとした――彼に比べるとどんな人物でも大抵は華奢に見えるのだが――恋人・調月(つかつき)絢瀬の艶やかな濡羽のカラス色をした髪を撫でたり、彼女をぎゅ、と苦しくない程度に抱きしめたりと大忙しだった。
ヴィンチェンツォにされるがままの絢瀬は、慣れきっているのか、ノーフレームのメガネをかけた目でテレビを見ていた。垂れ流しにしている料理番組は、男性のアナウンサーが女性の調理師の持っている調味料の量について述べている。おおさじとこさじは分かるが、少々、の量は相変わらず彼女にとって鬼門だった。そもそも、彼女は調理どころか家事のほとんどが不得手で、その全てをヴィンチェンツォが引き受けているのだが。
……閑話休題。
長身でスレンダーな、まるでカモシカのようなすらりとした肢体を、パステルカラーのもこもこしたルームウェア──いつかのクリスマスにヴィンチェンツォからもらったものだ──に身を包んでいた。見るからに温かな格好をしている二人は、並んでホットカーペットの上に座って、ガスヒーターを炊いていた。隙間なくぴったりとくっついていれば、やや暑いほどだろう。流石に暑いのか、絢瀬はヴィンチェンツォの胸板に頭を預けながら問いかける。
「暑くない?」
「うーん、暑いかも? カーペット、切る?」
「そうね」
「ちょっとごめんね……よし」
離れる、という選択肢ははなから存在しないために、絢瀬を抱きしめていた腕をほどいて、ヴィンチェンツォはごろんと上半身を倒す。長い腕を伸ばして、かちり、とホットカーペットのスイッチをオフにする。腕を支点に上半身を起こしたヴィンチェンツォは、先ほどと同じように絢瀬を抱きしめ直す。抱きかかえられた絢瀬もまた、ぺたん、と彼の分厚い胸板に頭から背中までくっつける。さきほど同じ距離を保ち直すと、絢瀬はちら、とホットカーペットの電源部分に目を向ける。気持ち程度の問題だが、絢瀬のほうが近い気がする。
「わたしの方が近かったわね」
「いいよ、私の方が腕は長いからね」
「あら、嫌味かしら」
「まさか!」
スイッチを切られ、熱を放っていた床は、少しずつ冷めていく。それでも背中全面や、回された腕から伝わる熱が寒さを感じさせなかった。
抱きしめられながら、絢瀬のはなった冗談に、明るい声で返事をするヴィンチェンツォ。ぎゅうぎゅうに抱きしめられながら、絢瀬はふあ、とひとつあくびをする。まだ時間は二十一時を十分ほど回った程度だが、朝早く起きたのと、久しぶりに入れた酒のせいか眠気が襲ってくる。
これはこのまま寝てしまうかもなあ、のんびりと思っていると、ヴィンチェンツォが耳元で名前を呼ぶ。情愛がとっぷりと詰め込まれた甘ったるい声だ。絢瀬は、この砂糖やはちみつをどろどろに煮詰めたような甘くて優しい声が恥ずかしくて、それでも愛しくて仕方がない。声だけで耳まで赤くなりそうになりながら、ん、と続きをいうように促す。どうせ、その言葉は知っているのだけれど。
「ね、アヤセ」
「ん?」
「愛してる」
「ふふ、また言ってる。わたしもよ」
耳まで顔を赤らめて、恥ずかしそうに小さく微笑む恋人を愛しく思いながら、ヴィンチェンツォは抱きしめる腕に力を込める。腕の中の恋人が苦しくないように、そして、自分の愛が伝わるように、と。
「あ、次のメニューはピザ風ミートローフだって」
「へえ……」
「おいしそうだなー。へぇ! レンコン使うんだ。面白そう、明日レンコン買って作ってみようかな」
「いいんじゃない? ふぁ……」
「おや、眠いのかい?」
「ん……すこし、ね」
恋人がうつらうつらと船を漕ぎ出したのを、公共放送を見ながらヴィンチェンツォは気がついた。今日も朝早くから会議だなんだで駆り出されていた恋人は、夜はこれからという時間におねむのようだ。
後ろから絢瀬を抱きかかえながら見ていたテレビは確かに面白い。新しい料理や、知っている調理法が出るたびに、あれを次の夕飯にしよう、と考える程度には。テレビ画面ではボウルの中に合い挽き肉や卵、すりおろしたニンニクとみじん切りにした玉ねぎを混ぜている段階だった。まあ明日ホームページを見ながら作ればいいしな、とテレビ画面を消す。スピーカーから流れる音も消えた部屋は、夜半のしんとした静けさだけが残る。
腕の中でそのまま眠ってしまいそうな絢瀬を軽く揺らして、ベッドに行けるか尋ねる。もうだいぶ眠たそうな彼女から返事がなければ、そのまま抱えて行ってやろうという魂胆だ。お姫様抱っこして連れて行こうかな、と思っていると、歩ける、と今にも寝入りそうな声で帰ってくる。
「ん……歩ける……」
「そっか」
「ん……」
うとうととしたまま起きあがろうとする絢瀬を手伝ってやる。危なっかしい足取りの彼女を支えながら、ヴィンチェンツォは長い腕で廊下に続く扉を開ける。冬の冷たい空気が充満する廊下のせいか、すこし絢瀬の目が覚める。ルームシューズを履いた足でぺたぺたと歩きながら、寒いわね、とつぶやいた彼女に、二人で寝れば暖かいさ、と返すヴィンチェンツォ。暗くて短くも寒い廊下をのそのそと進み、寝室に繋がる扉を先に開けた彼は、ついでに寝室の電気をつける。
ぱっ、と明るくなった部屋の中央に置かれている特注品のロングサイズベッドに絢瀬を向かわせる。ふらふら、ぽてん。まさにその擬音が当てはまるような歩き方でベッドまで向かった彼女は、ルームシューズを脱ぐことなく上半身を羽毛布団に埋める。きちっとしている彼女らしからぬ自堕落さに、相当眠いんだなとヴィンチェンツォは苦笑する。これは、晩酌に出した缶チューハイが多すぎたのかも知れない。
「アヤセ、ルームシューズは脱ごう?」
「んん……」
「しょうがないなあ。脱がせてあげるか」
細い彼女の足にはまっていたルームシューズを脱がせて、甲に口付けを落とす。普段ならば、くすくす笑いながら恥ずかしい、と言う絢瀬も、眠気の前ではおとなしいもので、それが少しヴィンチェンツォはつまらなかった。いつものように、恥ずかしいんだけど、と少し照れた声が降ってこないだけで、なんとなく自分以外に目を向けられているような気がしてつまらないのだ。しょうもないことだ、と思っていても、なんともつまらない。
もぞもぞとヴィンチェンツォが自分のルームシューズを脱いでいると、寒い、と小さくうめく声が聞こえる。冷えた布団で少し目が覚めたのだろう。今暖かくなるよ、と頭を撫でながら、ヴィンチェンツォは羽毛布団に潜り込む。冷えた掛け布団の中で、絢瀬のほっそりした足に自分の足を絡める。片腕で彼女の胴を抱き寄せて、全身が密着させる。二人が寝転んでも十分に余裕がある大きさのベッドの中央に寝転がりながら、うつらうつらしている絢瀬の耳元で囁くように、愛している、と言葉を注ぐ。
「恥ずかしいったら」
「照れないでよ」
「もう。わたしは眠いのよ」
恥ずかしい、と言うと絢瀬は頭から布団をかぶる。もっこり、と膨らんだ頭のあるだろう場所に、もう一度ヴィンチェンツォは愛していると告げる。眠る前に彼女の耳元で囁くのは毎日の恒例行事なのだが、絢瀬は何度囁いても恥ずかしそうにする。それがとても可愛らしくて、今日も満足する。
彼女から愛の言葉が返ってくるのは稀だしな、とヴィンチェンツォは目を閉じる。そもそも日本人は愛している、と言った言葉を素直に言わない人種なのだし、彼女はその分態度で愛していることを告げてくれるから気にしたこともない。
今日も幸せな気分で眠れるなあ──そう思いながら、ヴィンチェンツォもまた、寝ようとしていた。その時だった。
抱えていた布団がもぞりと動いて、ひょっこりと絢瀬が顔を出す。布団の中で温まったのか、それともまだ羞恥があるのか、その顔はうっすらと赤らんでいた。おや、とヴィンチェンツォは思う。枕に頭をつければ、即座に眠ってしまうような寝付きの良い彼女が、布団にこもってなおまだ起きているのは珍しい。こうなるのは、ホラーやスプラッタものの、彼女が苦手な映画を見たときぐらいだ。
もそもそとヴィンチェンツォの腕の中で動いていた絢瀬は、ひょっこりと起き上がるとむき出しの彼の耳に囁く。彼女が上半身を起こしたことで出来た空洞が、風をはらんでちょっと寒い。
「大好きよ、愛しているわ」
「! あ、アヤセ、」
「おやすみなさい」
「待って! 待って、待って!」
目を見開いて、固まっていたのは数秒もなかった。待って、と叫ぶヴィンチェンツォ。夜半にしては少々大きめの声を出してしまったが、ここは角部屋で、壁の向こうは外だから問題ないはずだ。驚きに満ちた彼の声を無視して、そっぽを向く絢瀬。待って、待って、と揺さぶる彼の腕をはねのけると、そのまま健やかな寝息が聞こえてくる。おやすみ三秒だ。寝付きのよさは折り紙付きの彼女の眠りの早さは芸術的だが、今だけは恨めしく思う。すやすやと健やかな寝息を立てている絢瀬を恨めしく見る。穴があくほど見つめたって、彼女はうんともすんとも言わない。もうすっかり眠りの国の住人だ。ふにふにと頬をつつきながら、ヴィンチェンツォは小さくぼやく。
「Madonna! くっそ、明日覚えてろよ……!」
すぴすぴと眠っている絢瀬を、やや乱暴にこちらを向かせる。半開きの唇に唇を触れあわせる程度のラフな口づけをして、腹立たしい気持ちを落ち着かせるように、ヴィンチェンツォは目をつぶった。抱き枕よろしく、絢瀬の細い身体を抱きしめて、目を固く閉じた。