平日の朝は忙しい。ヴィンチェンツォは半分眠っている頭を無理やり動かしながら、オーブントースターにバターロールパンを放り込んだ。パンが温まるのを待ちながら、ヴィンチェンツォはエスプレッソマシンのミルクコンテナに牛乳を注ぎ入れる。
カプチーノを二杯分用意しながら、彼は昨夜出た洗濯物を放り込んでいた洗濯機を覗き込む。タイマーをかけていたのもあり、朝食ができあがる前に洗濯は完了している。
脱水された服をランドリーバスケットに放り込み、部屋干し用に使用している部屋に入る。日当たりはこの部屋が一番いいのだ。
「さすがに、私が家にいるとはいえ、女性の肌着を外に干すのはね……」
近所で下着泥棒が出た、と聞いたのはこのマンションに引っ越してくる前のことだ。その時はまだ低層階で、その気になれば泥棒が下着をひったくることができる場所だった。
花粉や黄砂のことを考えれば部屋干しの方がいい、と提案し続けていた彼女の案を採用するきっかけになったのはこの件からだ。
……閑話休題。
洗濯物を部屋に張ってあるロープに吊り下げ終わると、絢瀬がオーブントースターからバターロールを取り出しているところだった。着替えは済んでいて、あとは食後に化粧をするばかりの状態だ。
テーブルの上にはカプチーノが二杯置いてある。おそらく、シンクの中には中身のないミルクコンテナが置いてあることだろう。
コンテナは後で洗わないとな、とヴィンチェンツォは考えながら、絢瀬に声をかける。
「チャオ、アヤセ」
「チャオ、ヴィンス。焼けていたから、お皿に並べたけどよかったかしら?」
「最高だよ。ありがとう」
「カプチーノもできていたから、テーブルに用意してあるわ」
そういうと絢瀬は自分の定位置となっている椅子に腰を下ろす。少食寄りの彼女には、ロールパンは一つで十分だ。
しかし、大柄な――という言葉で片付けるには、いささか問題がありそうなほど、体格のいいヴィンチェンツォには、当然ながらそれでは物足りない。追加でオーブントースターにロールパン入れる。
新しいパンを温めながら、焼けたロールパンを口に入れる。
「やっぱり、バター入りのはおいしいね」
「そうね。何もつけなくてもいいものね」
「そうだね、手軽に食べられるのは最高だよ」
「……だからって、あまりたくさん食べ過ぎるのはダメよ?」
「私はたくさん食べないと、すぐにお腹が空いてしまうんだよ」
だから、これは必要経費なんだよ。
そう言った彼は、早々にロールパンをひとつ平らげてしまう。
呆れた顔の絢瀬だったが、二メートルを超えた筋骨逞しい身体だから仕方ないか、と同意する。
「それより、アヤセは本当にひとつでいいのかい?」
「いつも言っているでしょう?」
「分かってるけどさあ、小さいパンだよ?」
「そこまで小さくないわよ?」
「……そうかな?」
「……あなた、自分の手のひらにものを乗せたら、大抵のものは小さく見えるわよ?」
「……そんなものかな?」
マジマジと自分の手のひらを見つめるヴィンチェンツォに、絢瀬はカプチーノを啜りながら声をかける。彼の手は、彼が思っているよりも大きいのだ。
背が高ければ、手も大きくなりやすい。日本人女性の中では比較的背が高い絢瀬の手は、同い年の女性の中では少し大きい方に分類される。しかし、その彼女ですら、目の前の恋人の手と比べれば親子ほどの差があるのだ。
どこか不満げに自分の手を見ているヴィンチェンツォに、そろそろ焼けるんじゃないか、とオーブントースターを指差す絢瀬。
彼女が指を指すのとほとんど同時に、チン、と高らかに焼け上がりを告げるオーブントースター。おっと、と気を逸らしたヴィンチェンツォは、そそくさと焼き上がったロールパンを取り出して動きを止める。
「どうしたの?」
「うーん……もう二つ、食べようかなって」
「いいんじゃない?」
「でも、それを食べると、明日の朝ごはん用にロールパンなくなるんだよね」
「……別に、言ってくれたら、帰りに何か買ってくるわよ?」
「そうかい? それじゃあ、甘えようかな」
「任せてちょうだい」
絢瀬の言葉に安心したように、ヴィンチェンツォは袋の中に残っていたロールパンをオーブントースターにしまう。
最後の二つを焼きながら、焼けたロールパンを口に入れる。小麦粉の優しい味と、バターの濃密な味が口いっぱいに広がる。頭が焦げたロールパンは、噛むたびにぱりぱりと音を立てる。
少し冷めたカプチーノを飲みながら、ヴィンチェンツォは満足そうに頷く。
「やっぱり、朝はカプチーノとパンだね」
「そうね」
「アヤセは、やっぱり日本食の方がいい?」
「うーん、別になんでもいいかな」
朝から塩じゃけと味噌汁と白米を出されても、食べ切れる自信がないわ。
そう笑った彼女は、カップに残ったカプチーノを一息に飲むと、お化粧してくる、と席を立つ。今日も綺麗なアヤセを後で見せてくれよ、と声をかけると、ヴィンチェンツォは食べかけのロールパンを一息に食べ終える。
オーブントースターのほうを見るが、まだ焼き上がるには時間がかかりそうで、シンクに置かれていたミルクコンテナを洗おうと、彼は椅子から立ち上がった。