ヴィンチェンツォが洗濯物を回して、リビングでいつものように絢瀬と談笑していた。絢瀬の職場近くにできたコーヒーショップでコーヒー豆を買おうかと相談していると、そろそろ脱水が完了する頃合いで電話が鳴った。スマートフォン片手にリビングを出て行く。仕事の話ではないようで、それほど険しい顔をしていなかった。部屋を出て行く途中で聞こえたのは、本当かい、という喜びと疑問が混ざった声だった。
なにか、彼にとって良いことならばいいけれど。そう思いながら、絢瀬は遠くから小さく聞こえる洗濯機のアラーム音に、ああ、とソファーから立ち上がる。脱水が終了したのだろう。洗濯物がしわになる前に干さなくては、と洗濯機が置いてある脱衣脱衣所に向かう。リビングのドアを開き、すぐ横の引き戸を開く。白いドラム式洗濯機の扉をあけて、ランドリーバスケットに脱水したての服を放り込む。服を全部バスケットの中に放り込むと、なかなかの重さになる。絢瀬はちょっと欲張りすぎたか、と思いつつも、すぐに取り出さないとしわになったり、嫌な臭いの原因になるという母親の言葉を思い出す。
「よっ……と……」
細い腕で白い大きなランドリーバスケットを抱える。部屋干し用に使っているリビングの隣の部屋に入ると、出しっぱなしにしている部屋干し用のワイヤーの下にランドリーバスケットを置く。干す前にしわを伸ばしておく必要がある。ヴィンチェンツォ用の大きなTシャツを手に取り、四つに畳むと手のひらに乗せる。ぱんぱん、と叩いてしわを伸ばすだけで、アイロンを掛けたようにぴしっとすることを、彼女は母親から聞いていた。仕事用のブラウスは、よくふり捌いたあと、襟の部分を左右に引っ張って伸ばす。前立ての部分も引っ張ってしわを伸ばす。少しだけ干す前に手を加えるだけで、アイロンがけが楽になるのなら、いくらでも手をかける。それが調月(つかつき)絢瀬だった。
裾からプラスチックハンガーを入れて、ワイヤーに引っかける。間隔を空けてハンガーにかけた洗濯物を干していく。ブラウスやワイシャツ全体のしわを叩いて伸ばしていく。スカートとパンツはひっくり返してピンチハンガーにかけていく。筒干しにして、綿のパンツは縮みやすいため、少し伸ばしてやる。ヴィンチェンツォのサイズにあったものを探すのは少々骨が折れるので、なるべく長く使えるように細々とした手入れが欠かせない。
ピンチハンガーにハンカチやミニタオル、自身の女性用下着類をひっかけていると、絢瀬は男性用のボクサーパンツを手に取る。それは恋人のもので、当然ながら、彼の体格の良さがわかるものだ。あらためてまじまじと見る機会がないものだから、思わず絢瀬は目線の高さまで持ち上げてしまう。
どこにでもある黒地のそれは、彼のなんらかのセンスに反応したのだろう、小さなペンギンの全身が全体にちりばめられている。フラミンゴ柄のシャツや、パンダ柄や視力検査で使われるランドルト環のデザインされたネクタイを持っているのを思い出す。こういうちょっとした面白い柄のものを、いったいどこで見つけてくるのやら、と絢瀬は感心してしまう。
まじまじと下着を見ていると、がちゃり、と扉が開かれる。どうやら電話が終わったらしいヴィンチェンツォが部屋に来たようだ。洗面脱衣所の洗濯機に服が入っていなかったから、部屋干し用として使っている部屋に来たのだろう。
「どうしたんだい、アヤセ。私のパンツなんて見ちゃってさ」
「あら、ヴィンス。電話は終わったの?」
「うん。今度、サッカーの試合を見に行こうって誘われたんだ。アヤセもいくかい?」
「素敵ね。時間が合えば、一緒に行きたいわね」
ヴィンチェンツォはのっそりと近寄ると、後ろから絢瀬の手に合ったボクサーパンツを取り上げて、ピンチハンガーにひっかける。バスタオルを長さをずらしてワイヤーにかけながら、ヴィンチェンツォは再び口を開く。どうして私のパンツを見ていたんだい、と。
「たいした理由じゃないわよ?」
「へえ? どんな理由だろう。見当もつかないな」
「どこでこんな柄の下着やらネクタイやら見つけてくるんだろう、って不思議に思っただけよ」
「ああ……そういうことかい。別に普通にお店で見つけてきただけだよ?」
もっと――そう、性的なものでも思い出していたのかと思った、と言わんばかりの顔をしたヴィンチェンツォだったが、絢瀬の何を考えているの、という言葉に表情を変える。いつもの穏やかな表情を浮かべながら、そういや一緒に買いに行ってないね、と言いながら答える。
どうせなら、今度一緒に行くかい。そう提案すれば、楽しみにしているわ、と返ってくる。
「普通にお店って言っていたけれど、どういうお店なの?」
「そうだよ。古着屋とか……商店街とかにある、個人経営のお店とか結構多いよ。あとは、そうだなあ……外国人向けのお土産物を扱っているところとか、なかなか面白いデザインのものが多いね」
「へえ、そうなのね。わたし、そういうのはネットショップで買っているのかと思っていたわ」
「ネットで買うのは、ちょっと、サイズの問題がなあ……」
着られるか分からない物を買う勇気はないかな。
困ったように笑ったヴィンチェンツォは、最後のバスタオルを干す。空になったランドリーバスケットを持ち上げると、干してくれてありがとう、と絢瀬に礼を言う。
「いいのよ、このくらい。気にしないで」
「でも、重たくなかったかい?」
「平気よ?」
そんなにひ弱に見える?
そう笑って力瘤を作る彼女に、かっこよくて惚れそうだよ、とヴィンチェンツォは笑った。