しとしとしと。静かに雨が降っている。
テレビの中にいるお天気キャスターが、つい先日梅雨入りを宣言していたのを思い出して、絢瀬は今日の予定を思い出す。
昨晩、明日の雨が止んだら、買い物行こうよ。そうヴィンチェンツォは言っていたが、静かで激しくない雨は止む気配を見せない。これは買い物は延期かしら、と綾瀬が考えていると、ヴィンチェンツォが止まないね、とつまらなさそうな顔で言う。
「残念ね」
「本当にね。いっそ激しく降ってくれたなら、すっきりと諦められるのに、こんな降り方だと諦め切れないよね」
「そうね。出かけようと思えば出かけられる、っていう降り方は困るわね」
そう、出かけようと思えば出かけられる。そんな雨の降り方なのだ。とはいえ、買い出しにいくのは今日ではない。今日出かけるのは、ウィンドウショッピングになるのが目に見えている服を見に行くことだ。
服に限らず、ものは長く使う絢瀬とヴィンチェンツォは、そこまで新しいものを買うことはない。しかし、全く買わないということもない。たまにブティックでビビッときたものを買うことはある。今日はその、ビビッとくるものを探しに行くというデートの予定だったのだ。
しかし、出かけられる程度の降り方をしている雨を前に、どうにも出かける気が失せている。雨、というだけでどうにもやる気が出なくなるのだ。
やめだやめだ、と言ったヴィンチェンツォはどっかりとソファーに座る。ドリップコーヒーがなみなみ入っているマグを持ちながら、絢瀬はどうしたの、と尋ねる。
「今日は予定変更しよう」
「あら、どう変更になるのかしら」
「君と一日こう過ごすのはどうかな」
「あら、素敵ね?」
「ついでに、時間がかかる料理を一緒に作るのはどうかな?」
「あら、手伝えるかしら」
マグをローテーブルに置いた絢瀬は、とん、とヴィンチェンツォにもたれかかる。ずいぶん積極的じゃないか、と言いながら、ヴィンチェンツォは絢瀬の肩を抱く。何が食べたい、と尋ねてくる彼に、時間がかかる料理をよく知らない、と返す絢瀬。煮込み料理とか、スペアリブとかかなあ、という彼に、それなら煮込み料理にしましょう、と提案する。
「雨が続くと冷えるでしょう?」
「なるほどね。とてもいい考えだと思うよ。それなら、シチューがいいかなあ」
「シチューねえ……それなら、ビーフシチューが食べたいわ。ほら、ワインを使ったあれがいいわね」
「ああ、あれだね。いいね。でも、ワインあったかなあ」
最近買った記憶がないよ。そう言ったヴィンチェンツォに、ないなら買いに行こうと絢瀬は提案する。
ちら、と見た外の様子は、雨はもうだいぶ小止みになっていて、もう少しで止みそうだ。
「もう少しで止みそうだもの。どうかしら」
「そうだね。もうかなり止んできているし、もう今から行くかい?」
車で行けば、きっと濡れないよ。
そう言った彼はそわそわしていて、今にも外に出てしまいそうな気持ちを抑えている大型犬のように見える。
コーヒーだけ飲ませて、と言った絢瀬は、すっかりぬるくなったドリップコーヒーに口をつける。それじゃあ財布とってくるよ、とヴィンチェンツォは部屋を後にする。
それを見送り、絢瀬はぐい、と飲み干したコーヒーの入っていたマグをシンクで洗う。水切り台にひっくり返してマグを置き、濡れた手をタオルで拭う。いつか銀行でもらった粗品のタオルは、もうずいぶんと草臥れていて、新しいものに交換してもいい頃合いだ。
近いうちにこのタオルも雑巾になるんだろうな、と思っていると、リビングダイニングの扉が開かれる。財布を持ったヴィンチェンツォが戻ってきたのだ。
「ただいま。どうしたの? タオルを見てさ」
「おかえりなさい。もうこのタオルもずいぶん草臥れてきたなあ、って思ってただけよ」
「そうだね。そろそろ雑巾にしてもいいかもね。今使っている雑巾も、もうだいぶ真っ黒だものね」
「そうね。お願いしてもいい?」
「任せてよ」
誰もが二度見する大柄な体躯に見合わず、ヴィンチェンツォは器用なものだから、雑巾を作るくらい造作もない。絢瀬に頼られて嬉しい彼は、サムズアップで答える。
ニコニコ顔の彼を微笑ましく思いながら、ワインはどこにしまっていたかしら、と尋ねる。ボックスワインが冷蔵庫に入ってないかい、とヴィンチェンツォは冷蔵庫をあける。
かぱりと開けられた冷蔵庫の中には、ボックスワインの影はない。念のために野菜室なども見てみるが、やはりボックスワインはどこにも見当たらない。
「なかったね。やっぱり使い切ってたかあ」
「残念ね。あのワインって、どこで売っているの?」
「リカーショップにあるよ。日本人が大好きなコストパフォーマンスに優れていていいよね」
「そうなの? 確かに量は結構あるな、とは思っているけど」
「ニリットルから四リットルで、二千円から四千円くらいだよ」
「あら、思いの外安くて驚いたわね」
開けても一ヶ月くらい美味しく使えるのも素敵だね。
そう言った彼は、ついでにサンブーカかリモンチェッロも欲しいなあ、という。それほど酒を嗜む方ではないが、たまに飲みたいという気分は誰しもが持つものだ。そういうことだろう。
「君も飲みたいお酒あるかい?」
「特にはないわね……リモンチェッロ、少し分けてくれるなら、ね」
「もちろんだよ。せっかく君といるのに、何が楽しくて一人で飲まなきゃいけないんだい?」
炭酸水も多めに買っていこうか、と提案するヴィンチェンツォに、コーラで割ったのもおいしかったわね、と絢瀬が告げる。ならコーラも買っていかないとね、と彼は笑って買うものを指折り数える。
なかなか重たいものが揃ったわね、と絢瀬が告げると、私のかっこいいところを見せる最高の機会だよ、とヴィンチェンツォが笑う。
すっかり買い物に行く気満々の彼に、何回惚れ直したらいいのかしら、と絢瀬は笑うのだった。