内容は覚えていないが、とてもいい夢を見た。
意識はゆっくりと浮上して、これ以上なく完璧な寝起きだ。二度寝をしたくなる中途半端な眠気もなければ、昨日まであった身体のだるさもない。
昨晩、久しぶりに職場に顔を出したところ、ちょうど棚卸しをするところだったために――昨日の朝礼の時に話は出ていたのだが、ヴィンチェンツォが適当に聞き流していたために、それに巻き込まれたのだ。
無論、職場の荷物程度では疲れるほどではないのだが、意図しない出来事だったために、思いのほか精神的に疲れてしまったのだ。風呂上がりにストレッチをして、絢瀬にもマッサージをして貰って満足して眠りに落ちたことだけは覚えている。
(これは最高の目覚めだな……)
これはアラームが鳴る前に起きることができたのではないか、と思って目を開く。そして気がつく。照明は切ってあるのに、窓から差し込む光はそこそこ強い。なんというか、いつも起きる時の太陽の光はもう少し弱く感じるのだが、この明るさは、そう――絢瀬が出勤する時の明るさに近い。
そして、腕の中に自分とは異なる体温がない。腕にかかる重みがない。そこまで思い至って、ヴィンチェンツォはさきほどまで感じていた、干し立てのふかふかの布団に包まれるような幸福感が吹き飛ぶ感覚を覚える。
「……もしかして、」
慌ててベッドのヘッドボードに置いてあるスマートフォンを見る。時刻は絢瀬が出勤する時間の五分前だった。
一瞬、時が止まった。
「Fanculo! 嘘だろ!?」
事態を理解すると、ヴィンチェンツォはがばりと飛び起きる。どうしてアラームが鳴らなかったのかを確認するよりも早く、スマートフォンを握りしめると、寝室の扉を力いっぱいに開ける。ルームシューズに履き替えもせず、素足でばたばたと廊下を走る。もしかしたら下の住人がぎょっとしたかもしれないが、そんなこと構っていられない。
ばん、とリビングダイニングの扉を開ける。血相を変えて入ってきたヴィンチェンツォに、絢瀬は驚いたようだったが、チャオ、といつもの返事をする。
「チャオ……って、アヤセ! コラツィオーネは大丈夫!?」
「ええ、さっき食べたわよ」
「なにを!?」
「ロールパン。ソーセージ挟んで、ケチャップかけて……え、っと、まずかったかしら?」
もしかしてプランゾに使うつもりだった?
そんな心配をしている絢瀬をよそに、ヴィンチェンツォはちゃんと彼女が朝食を食べたことに安堵して、その場に座り込む。
普段なら決して見ない彼のそんな様子に、絢瀬は驚いてマグを置いて立ち上がる。
「ちょっと、大丈夫?」
「いや、その……今日寝坊したから……アヤセにコラツィオーネ……準備してなかったし……」
「ああ、そういうこと」
彼が腰が抜けたように安心している理由が分かり、絢瀬はぼさぼさの彼の髪を手ぐしで直してやる。されるがままに撫でられているヴィンチェンツォは、起こしてくれてもよかったのに、という。
「だって昨日、すごく疲れているみたいだったから、ギリギリまで寝かせてあげようと思って起こさなかったのだけど……起こした方がよかった?」
「そうだね。できたら起こしてくれた方が良かったかな」
君がキスで起こしてくれたら、昨日の疲れなんて吹っ飛ぶさ。
笑ってそんなことを言う彼に、次からそうするわね、と絢瀬は唇に軽く触れる。
立ち上がったヴィンチェンツォに引かれるように、絢瀬は再びダイニングチェアーに腰を下ろす。向かいに座ったヴィンチェンツォに、そうだ、と絢瀬は言う。再び立ち上がった彼女は、冷蔵庫から一枚のラップフィルムにつつまれた皿を取り出す。その上にはロールパンが乗っている。
「まだ始業には間に合うんでしょう? 少しだけど、ロールパンにソーセージを挟んだの用意しておいたの」
「君の手作りかい? そんな素敵なものが食べられるなら、たまには寝坊するのもいいものだね」
「ばかね、ただ切れ込みにソーセージを入れただけよ。ケチャップはお好みでかけてね。わたしはマスタードもつけたわ」
「なら私もそうしようかな。それより、アヤセ、もう時間じゃないのかい?」
「あら、やだ。もう行かないとバスの時間に間に合わないわ」
行ってきます、と絢瀬は身を乗り出して、ヴィンチェンツォの額に口付ける。いってらっしゃい、とお返しのキスをして、ヴィンチェンツォは絢瀬を見送る。
彼女が去って行ったのを見届け、ヴィンチェンツォは食品用ラップフィルムにつつまれた皿を見る。彼女が言っていたように、中央に切れ込みの入ったロールパンに、ソーセージが切られることなくそのまま一本入っている。火を通した形跡もないそれに、焼くこともしなかったかあ、と苦笑しつつ、怪我をするようなことをしなくてよかったと安心する。
冷蔵庫からケチャップとマスタードを取り出し、適当にロールパンの上にかける。火の通っていないホットドッグもどきだが、好きな人が作ってくれたのだから、それは何にも勝る手料理だった。