「ヴィンス、ここ」
はねてるわよ。
絢瀬は自分の右の側頭部に触れながら、ヴィンチェンツォの寝癖を指摘する。そっと自身の手で触れてみると、確かにそこだけぴょん、と跳ねている。
昨日乾かしが足りなかったのかなあとヴィンチェンツォはぼやきながら、寝室を後にしようとする。その彼を呼び止める絢瀬。
「? ドライヤーは洗面台だろう?」
「これで直してあげる。ほら、座って」
そういうと、絢瀬は手にしているストレートアイロンをコンセントにつなぐ。ヒーター部分を温めはじめたシャンパンゴールドのそれが、十分に温まるまでに時間が少しかかる。その間に寝癖直しのスプレーを彼の髪に吹き付ける。
ほのかにシトラスの香りがするそれを吹きつけられながら、たまにはいいね、とヴィンチェンツォは綾瀬を見上げる。
「なにがかしら」
「君にこうして寝癖を直してもらうのが、さ。楽しいから、たまにはドライヤーしないで寝ようかな」
「あら、かわいいことをするつもりなのね。でも、わたしはかっこいいあなたが見たいわね」
寝癖は直せるけど、ヘアセットはしてあげられないわよ。
そう言いながら、絢瀬はヘアブラシで軽く跳ねた髪を直してやる。もつれた髪がほどけたところで、彼女はストレートアイロンを手に取る。十分に温まったことを知らせるランプが緑色についている。
跳ねた髪を挟んで、アイロンを滑らせる。ひとなでするだけで、跳ねていた髪はいつもの様子に戻る。
「はい、直ったわよ」
「グラッツェ。いいね、それ」
「ええ、便利よ」
絢瀬はついでに自身の髪にストレートアイロンを当てる。濡らしておいた髪を挟んで、毛先を軽く内側に向かうように滑らせる。自然なカールを描いて内側を向く青みがかった黒髪。いつもの絢瀬の髪だ。
「……どうしたのよ。ヘアセット、しなくていいの?」
「アヤセのヘアセットが見てて楽しいからね」
「いつも見てるじゃない。変なことを言うのね」
「いつも見ているけど、私の寝癖を直してくれるのはあまりないもの」
「だって、あなた、寝癖あまりつかないし、ついても目立たないじゃない」
そんなことはいいから、早くいつものかっこいいあなたが見たいのだけど。
絢瀬に急かされて、ヴィンチェンツォは肩をすくめる。愛用のヘアワックスを取ろうと、床から立ち上がる。
ヘアアイロンを使い終わった彼女は、コンセントを抜いて片付ける。いつもの場所に片付けた彼女は、床に座ってヴィンチェンツォを見上げる。ヘアワックスを片手に、彼はその視線にどうしたんだい、と疑問を投げかける。
「あなたのヘアセットが見たくなったの」
「おっと、これはいつもよりかっこよくしないといけないね」
「あら、力みすぎてダサくならないでよ」
「手厳しいね。緊張しちゃうな」
そう笑いながら、ヴィンチェンツォはワックスを手に取る。手のひらに十分に伸ばしてから、後頭部に触れる。揉み込みながら、トップと後頭部に馴染ませる。手のひらに残ったワックスで前髪をかきあげる。
あっという間にいつもの髪型になったものだから、思わず絢瀬はぱちぱちと拍手をする。照れ臭そうにしながら、かっこいいかい、とヴィンチェンツォは尋ねる。
「そんなに早くできるものなのね」
「まあ、最初のブローで九割くらいできたも当然だからね」
「ブローした割に髪、跳ねてたわね」
「不思議だね。結構後ろの方だったから、見えなかったんだと思う」
「そうかもしれないわね。……わたしも前髪あげてみようかな」
「やってみる?」
「お願いしようかしら」
ワックスは何もつけてないわよ、と申告する絢瀬に、知っているよと言いながら、ヴィンチェンツォは自分のワックスを手のひらに取る。いつも使うより少なめに取ったのは、絢瀬の頭は彼より小さいのもあるだろう。
手のひらに馴染ませ、トップに少しつけて、後頭部からサイドにかけてワックスを馴染ませる。なるべく普段の形を崩さないように馴染ませ、残ったワックスで前髪を軽くかきあげる。
本来の手順で行うかきあげの前髪の作り方ではないが、軽く持ち上がった前髪は、いつもとは違う雰囲気を出している。
「困ったな、今日の君は誰よりも素敵だよ」
「あら、ありがとう。あなたのおかげね」
素敵だ、といった口でヴィンチェンツォは悩んでいるような呻き声をあげる。どうしたのか尋ねれば、ひどく深刻そうな声が返ってくる。
「どうしよう。君を世界中に見せびらかしたいのに、そんなことをしたら、他の男が寄って来ちゃうよ。どうしたものかな……」
「ばかね。あなたが側に居てくれたら、それだけで済む話じゃない」
「……! それもそうだね」
今日の私は君の騎士だね。そう笑った彼に、いつも素敵な騎士よ、と絢瀬は笑って口づけをした。