奈々美は百円ショップで迷っていた。というのも、バレンタインに恋人に手作りのチョコレートを贈るかどうか、それが一向に決まらないからだった。
というのも、奈々美の恋人である陸上鷹山(くがうえ・ようざん)は料理が奈々美よりも得意だからだ。具体的に言ってしまえば、千人ほどチャンネル登録がある料理動画チャンネルを持っている程度には。
多くの人にレシピとして頼られる料理動画を投稿している男に対して、手作りチョコレートというのはつまらない物があるかもしれない。そう思いつつも、奈々美はやはり贈るならどうせなら手作りチョコレートがいいと思っていた。愛情のこもった手料理とか、そういうのをここ最近少女漫画や、ティーンズラブ漫画で読みすぎたのかもしれない。
もっとも、姉である葉月も絢瀬もそれほど料理が得意なタイプではないから、奈々美もそこまで得意なタイプではないのだけれども――少なくとも、葉月のように「まあ、これでなんとかなるでしょ」という大雑把なタイプではないのが幸いしている。少なくとも、長女の葉月はお菓子作りのような繊細な仕事は向いていない。計量が大雑把なのだ。次女の絢瀬は絢瀬で料理をしないが、計量のような細々とした作業や、オーブンをあらかじめ暖めておくなど、そういったことはきちんと行える――作業手順をしっかり確認する女であるから、どちらかといえばお菓子作りに向いている女だ。もっとも、そうであっても、不器用で甘いものが苦手な彼女が、お菓子作りをするのは滅多にないのだけれども。
……閑話休題。
奈々美は長女がお菓子なんて酒のあてになりそうもないものに興味がないことを知っているから、次女である絢瀬に個人メッセージを送った。関東にて恋人と同棲生活を送っている彼女ならば、なにかしら簡単に作ることができる料理を知っているかもしれないと思ってのことだった。彼女が知っていなくとも、彼女の恋人は料理が得意な男であるから、そちらから連絡がくるだろう――そう思ってから、奈々美は雷に打たれるかのような衝撃を受けた。
最初から、ヴィンスくんに連絡をすればよかったのではないか――と。
「いや、でもなあ……ヴィンスくん、甘いの好きだからなぁ……鷹山くんは甘いの苦手だろうしなぁ……コーヒー、ミルクだけしか入れてないから、そこまで苦手って訳でもないかもしれないけどさぁ……えーどうなんだろう……」
手作りお菓子でおすすめのものを教えて、という内容のメッセージを送ってから、奈々美はうんうんとうなり始める。自分がメッセージを送る相手を間違えたかもしれない、という考えを打ち消すように、ぶつぶつとつぶやいている彼女のもとにスマートフォンが着信を告げる。
なんだろうか、と思って立ち上げると、そこには恋人である鷹山の動画チャンネルの通知だった。最近流行っている縦型動画――ショート動画が更新されたらしい。バレンタイン特集を組まれているコーナーから少し離れたところに移動した奈々美は、通知をタップして動画を開く。基本的に、彼の動画はBGMとテロップだけなので音声を切っていても何の問題もない。
動画を開けば、そこには四十秒にも満たない動画があった。きれいに四つ、ココアパウダーでもまぶされているのだろうか、きれいな淡い茶色に色づいた丸々としたショコラが紙製の小さなカップに収められて、白い箱に詰められる様子だった。最後は蓋をして、リボンを巻くところで終わっていた。
この動画を見て、奈々美はこれは自分宛のバレンタインのチョコレートではないか、と推測する。少なくとも、ほかに女性を作るといった不義理をする男ではないはずで(あくまでも奈々美が知っている陸上鷹山という男は、というのが頭につくが)そんな人物が堂々とチョコレートを作り終えてラッピングする動画をあげているのだ。これはバレンタインが終わったら、この動画をフル尺でアップロードするんだろうな、と奈々美は予想しながら、チョコレートではかぶるな、と考える。
「うーん、別にかぶっても鷹山くんは嫌がらないだろうけど、アタシが嫌なんだよなぁ。アタシより鷹山くんのほうが料理上手だし」
うんうんとうなりながら、奈々美はもう一度百円ショップのバレンタイン特設コーナーをのぞき込む。何度見ても、そこにあるのはチョコレート菓子を作るための材料がずらっと並んでいる。それはそうだろう。日本のバレンタインといえば、チョコレートを送り合う文化として定着をしているのだから。
クッキーとかのほうがかぶらなくていいよな、と思いながら、奈々美は上から下まで什器にかけられた材料たちを見て、下の方に所在なさげにぽつん、と置かれた一つの材料を見つける。それは紅茶のパウンドケーキと書かれた材料だった。
雷に打たれるかのような衝撃、二回目。奈々美はこれが正解なのではないか、と理解する。紅茶のパウンドケーキであれば、それほど甘くはないし、パウンドケーキは比較的作りやすいと聞いたことがある。たしか、そんなことを言っていたのは、大学の友人の誰かだった気がする。いつかも忘れた会話をした相手を思い出せなかったが、わりと簡単らしいことを知っていた奈々美は、意気揚々と材料とパウンドケーキの型となる紙製の焼き型を手に取る。
百円ショップは誘惑ばっかりだから、と内心つぶやきながら、目移りしそうな感情を抑えてレジに向かう。会計を済ませて、商品を鞄にしまいながら、姉・絢瀬にメッセージを送り直す。最初に送ったメッセージは既読がついており、返信がないところを見ると、今頃恋人かネットで調べてくれているのかもしれない。あきれて何も言わないような姉ではないことを、妹である奈々美はよく知っている。なんだかんだ言いながらも、姉は年の離れた妹をかわいがってくれている。
自分で見つけた、とコメントを添えて、紅茶のパウンドケーキの材料の写真を撮影して添付すれば、すぐに既読がつく。すれ違いざまに『簡単! 生チョコの作り方』と書かれたレシピであろうアドレスが送られてきて、調べてくれてたんだ、と奈々美は胸が温かくなるような思いでいっぱいになる。
しばらくもしないうちに、絢瀬からパウンドケーキも素敵だと思うわ、とメッセージが送られてくる。全部一ポンドの材料だからパウンドケーキだったかしら、というコメントがついて、奈々美はそうなの、と驚いたうさぎのスタンプを送る。記憶違いだったかも、と戻ってくる返事に、そういうのは鷹山くんが詳しそうだから聞いてみる、と返信をする。
奈々美は意気揚々といい買い物をした、とニコニコとご満悦で自転車にまたがる。スタンドを蹴り上げて、ペダルに足を乗せる。一漕ぎすれば、カフェオレの色をした自転車は彼女の自宅に向かって滑り出すのだった。