「ところでなんですけど、ヴィンスさん」
「うん?」
巣鴨雄大(すがも・ゆうだい)に相談がある、と言われて仕方なしに終業後に居酒屋にきたヴィンチェンツォ。奢らないですからね、と早々に釘を刺されて、二人は居酒屋でちびちびと生ビールと枝豆をつまんでいた。大盛りポテトフライです、と従業員が山盛りのポテトをテーブルに乗せていく。ぽりぽりとポテトをかじりながら、用件を尋ねる。深刻そうな表情をしているが、ヴィンチェンツォの第六感が告げている。これは、たいした要件ではない、と。
ビールを煽った巣鴨は、彼女に一気に惚れさせる方法はないですか、と大きな声で尋ねてくる。居酒屋は騒々しいから、その声は周囲には聞こえなかったらしい。そもそも、半個室の居酒屋だったから、周囲の目からは遮られていたのもあるが。
なんとなく察していた内容に、ヴィンチェンツォはうーん、と少しだけうなる。あくまでもポーズだ。どうにも、彼は入社してからヴィンチェンツォをモテる男と認識しており、日夜、彼から紳士として、そしてモテる男のなんたるかを学ぼうとしている。その情熱を少しだけ仕事にも向けてくれたらなぁ、なんて思ったのはわりと最初にうちだけで、最近はそこまででもない。
なんというか、微笑ましいのだ。モテたいという欲求に忠実な彼の姿が、夢に向かって全力だった在りし日の自分を思い出させてくるのもあるが、なによりも素直なところがかわいげがあるのだ。目が離せなくて、構いたくなって――見守ってしまう。庇護欲をそそる男なのだ。多分、本人はそれを嫌だと騒ぐのだろうけれど。
そんなことを考えながら、ないよ、と質問に答える。がっくりとうなだれる巣鴨は、机にのの字を書きながら、ですよねえ、とうめいている。
「うーん、やっぱり一気に惚れさせるような必殺技はないかあ」
「そりゃあね。一時的なものならあるけど、そういうのって長く効果を発揮しないよ」
「きゃー雄大君かっこいー! って言われたいし、言わせたいんですよ……!」
「かっこいいなら、なんでもいいの?」
「え? えーと、そうだなぁ。かっこいいっていうか、頼りになる! みたいな」
かっこよくて頼りになる。男らしい部分を出したいんだろうなぁ、と思いながら、巣鴨を見る。
ひょろっと細長い体躯。筋肉はあまりついていなくて、どちらかといえば、もやしのような体型だ。なんというのか、インドアなんだろうな、と誰が見ても思う体つきで、とてもじゃないが男らしさを全面に押し出すのは難しいだろう。
分かりやすい男らしさと言えば、力仕事だが――たしか、彼の恋人は彼よりも筋肉質で、がっちりとした体つきだ。肉体労働者というのもあるのだろう。肉体面で彼が頼りになる男をアピールするのではなく、もっと別の方面――たとえば、家事の方面で役に立つアピールをしてはどうか、と提案する。
「家事かぁ。あんまりやったことないんですよね。母ちゃんにも、お前がやると汚い! って、もう散々に怒られるから、全然やってないや」
「じゃあ、彼女さんに一任してるのかい」
「うーん……そうなんですよね……なるほど、家事かぁ。でも、頼りになる男だって、思われますかね」
俺、本当になにもできないんですよ。
そう、ぼそりと呟いた彼は、雨に濡れてしょぼくれてる小型犬のようだった。こういうところに庇護欲をそそられるんだよなぁ、と思いながら、ヴィンチェンツォは指を一つ立てる。
「長い目で考えるのさ。いつもこの人が手伝ってくれて助かるなあ──一緒にいて欲しいなあ。そう思わせるためには、さて、どうしたらいいかな」
「な、なるほど……! そこで毎日家事を手伝う、っていうのが効いてくる……!」
「そりゃあ、したくない日だって出てくる。一日、二日ならサボったっていい。人間だからね。毎日完璧にやるのが理想だけど――でも、毎日やったほうがカッコいい男なんじゃない? 私はそう思うよ」
「むむむ……でも俺、なにならできるのやら」
料理もこがしちゃうんですよ。と、泣きそうな顔でいう彼に、手軽なところから始めれば良い、とアドバイスをする。手軽なところ、と復唱した巣鴨に、洗濯物の畳み方を教わればいい、と告げると、酸っぱいものを食べた顔になる。どうやら、母親に散々怒られたというのは、洗濯物のことらしい。
普段からそそっかしく、たまに出勤すると、彼のデスクはあっちこっちにカラーチャートやら色見本やらが散らばっているのを見ているせいで、まあたしかに綺麗に畳めない男だろうなぁ、とヴィンチェンツォは苦笑する。
「恥ずかしがらずにね。教えを乞うのは、なにも恥ずかしいことじゃない。最初は誰だって知らないのだからね。知らないのだから、下手で当たり前なんだよ」
「そ、うですよね。下手でも、何度も繰り返すから上達するんですよね」
「そうだとも。下手なのを下手だから、と取り上げるのは、その人のためにならないね。下手だからこそ、数こなして上達させるのさ」
「そっかぁ……そうですよね。下手だからって、取り上げられても、それでも続ける努力をしないとだめですよね」
「そうだとも。それに、それだけじゃない。君が彼女を頼れば、それは会話になる。会話は大切だよ、互いを愛するためにはね」
「ふむふむ……会話は大事……」
「人間、言葉にしないと伝わらないんだよ。以心伝心なんて日本語があるけどさ、大切なことは言葉にする習慣をつけるべきだね」
ぐびり。ビールをあおるヴィンチェンツォ。ねえ、焼き鳥頼んでいいかい、と尋ねられて、唐揚げにしましょうよ、と返す巣鴨。俺レモンかけないんで、とつなげる彼に、わたしもレモン好きじゃないんだよね、と言うヴィンチェンツォ。店員に唐揚げを一皿頼んで、ついでにやみつきキャベツも注文する。締めのラーメンには、まだいささか早い時間だ。
最後の枝豆を巣鴨が食べていると、だからね、とヴィンチェンツォが口を開く。
「彼女に頼りきりの生活から、二人で寄り添い合う生活──こっちの方がかっこいいでしょ」
「そっすね! よし、早速実践するか!」
「休みの日に尋ねた方がいいよ。疲れてるところに、いきなり教えてくれって押しかけられたくないだろう? 君だって」
「……うっす! 気をつけます!」
今にも家に帰って、彼女に問いただしそうな巣鴨を冷静にさせる。それに唐揚げとキャベツ食べてから帰りなよ、とヴィンチェンツォが言えば、そうだった、と巣鴨は立ち上がり描けた腰を下ろす。唐揚げとやみつきキャベツですー、と疲れ切っているアルバイト店員から皿を受け取ると、二人は乗せられていたレモンをどかして、唐揚げを一つつまむ。揚げたての熱さと、ジューシーな肉の感触がたまらない。やみつき、と銘打ってあるだけあり、キャベツをつつく手も止まらない。
ヴィンスさんも、彼女さんと家事共有してるんですか。気になっていたことを巣鴨は尋ねる。二人で寄り添い合う生活をかっこいいと称したのだから、きっと家事は分けているのだろう。そう思っての質問だった。それに対して、ヴィンチェンツォはアヤセとはあまり共有してないよ、と返す。
「え、そうなんすか」
「うーん、強いて言えば、お風呂掃除くらいかな……? あ、あと土日は洗濯物の取り込みはしてくれるけど、うちクローゼットだから、畳まないんだよね、基本的に」
「はあー。そうなんすか」
「まあ、彼女不器用だしね。やれる範囲で手伝ってくれるのがかわいいんだよ」
「そんなもんすか」
「そんなもんだよ」
だから、やれる範囲でやればいいんだよ。
そう言われて、なんとなくかっこいい言葉に流されただけなんじゃないか、と思ってしまう巣鴨だった。