もふもふしている。それは、服を手に取った絢瀬の抱いた最初の感情だった。
そのコートは襟の部分と裾の部分、袖口にもファーがついていた。ブラウンのフェイクファーたっぷりのそれに、ずいぶんと可愛らしいコートだな、とも思った。
(まあ、買いたいとは思わないかな。わたしの好みのデザインではないし)
手にしていたキャメルのコートを什器に戻そうとして、ヴィンチェンツォが珍しいね、と声をかける。
絢瀬が手にしていたキャメルのコートを取り、彼女の体の前に合わせる。顎の裏にあたるファーがくすぐったい。
「かわいいじゃないか」
「かわいすぎるわよ」
「こんなにかわいいんだ。ねえ、私とのデートの時に着てくれないかな」
「デザインが好みじゃないわ。ポンチョ風より、トレンチの方が好きなの」
「それじゃあ仕方ないね」
かわいいけど、好きじゃない服なら着ないものね。
ヴィンチェンツォは、コートのハンガーを什器に戻す。そもそも、今日服屋に来たのはコートを買うためではない。
冬用の厚手のスカートを買いに来たのだ。裏起毛の、もふもふしたスカートを試しに買ったら、予想以上に暖かく、絢瀬はいたく気に入ったのだ。どうせなので、ヴィンチェンツォのボトムも買おうという話になったのは、昨晩のことだ。寒がりな彼にとって、暖かい服があるのなら、それを試しに着てみたいのだ。
ぐるり、と店内を歩いて、絢瀬は季節物の商品が置かれているところに裏起毛、とポップのついたコーナーを見つける。そこには、スカートをはじめ、裏起毛の商品がいくらかピックアップされて並んでいた。
「あったわね。……これなんてどうかしら」
「悪くはないと思うよ。でも、そのタータンチェックのスカートに、その服以外でも合うかな……」
「それなのよね……こっちの無地のほうがいいかしら」
「ああ、そっちのカーキのほうが似合うね。やっぱり、絢瀬はカーキ色が似合うね」
ベージュ系のタータンチェックのAラインスカートから、カーキ色のマキシ丈のAラインスカートを身体の前に合わせる。アイボリーのカットソーとも雰囲気が合う。サイズが合うか、たしかめてきたらどう、と言われ、絢瀬はそうするわ、と試着室に向かう。
しゃっ、と閉ざされたカーテンの向こうを見ながら、ヴィンチェンツォはスマートフォンの画面をつける。手慣れた動きでカメラモードに切り替えて、絢瀬が出てくるのを待つ。
着替えてきた彼女が、試着室のカーテンを開いた瞬間、ヴィンチェンツォはさっとスマートフォンのアウトカメラを彼女に向ける。絢瀬は、またか、と言わんばかりの顔をしながら、雑誌に載っているモデルのように立ってみせる。
かしゃかしゃ、と数枚写真を撮った彼は、満足したらしく、うんうんと頷いている。
「あなたも飽きないわね」
「どの瞬間でも、君が美しいからね」
「まったく、口が上手いんだから。でも、これいいわね。ウエストがゴムだから、すごく楽だわ」
「それはよかった。見た目もかわいいし、カラーもいいしね」
「あなたも気に入ってるみたいだし、買うとするわ」
しゃっ、と再び閉められたカーテン。衣擦れの音が少しして、再びカーテンが開けられる。家から着てきたネイビーのフィッシュテールスカートに着替えた彼女は、腕にカーキのAラインスカートをさげていた。スカートを受け取りながら、ヴィンチェンツォは、この店には自分のサイズの服がなさそうだと肩をすくめる。
たしかに、先ほど軽く店内をうろついた限りでは、細身の――彼に比べれば、大抵の人間は華奢になるが、いわゆる平均的な体型の日本人向けの服しか見当たらなかった。ふくよかな人間向けのサイズも置かれていなかったから、ここで彼の服を見繕うのは難しいだろう。
残念ね、と絢瀬が慰めてやると、服も作れるようになろうかな、とヴィンチェンツォは困ったように笑う。
「うちの母さんに習ったら? あの人、洋裁できるわよ」
「ああ、そういえば、私の半纏も作ってくれたね……アヤセのマンマ、なんでも作れるよねえ」
「子どものころ、よく服作ってくれたわよ」
「へえ! アヤセの小さい頃の写真、見たいなぁ」
「たいしたものじゃないわよ。今とそんなに変わってないと思うけど」
「だって、前にうちに来たとき、私の小さいときの写真見ていたじゃないか」
アヤセだけずるいよ、と頬を膨らませるヴィンチェンツォに、思わず笑ってしまう絢瀬。
ぷっくり膨らんでいる頬をつつきながら、じゃあ今度見に帰るか、と提案すればもちろんだよ、とすぐさま賛成の声が上がる。そんな彼に絢瀬は、現金ねと笑う。好きな人の知らない頃の写真だなんて、めったに見られないからね、と胸を張るヴィンチェンツォ。
「子どもの頃のわたしなんて、そんなに見ても面白くないと思うけれど」
「それを言うなら、子どもの頃の私だって面白くなかったろう?」
「面白かったわよ。お人形みたいにかわいかったもの」
いったい、どうしたらこんなに厳つくなっちゃうのかしら。
心底不思議そうに小首をかしげる彼女に、女神の采配としか言えないね、と返すヴィンチェンツォ。彼が高校生の頃、短期留学生としてホストファミリーである絢瀬の実家に訪れたときは、たしかに今風のイケメンというのがふさわしい顔立ちだったのにな、と絢瀬はため息交じりに呟く。
今の私よりも昔の私のほうが好みだったか、と尋ねられて、絢瀬はバカね、と返す。
「ただのイケメンじゃ、物足りないわ。料理が上手で、家事はなんでもできて、電車に乗るたびに頭を打ちかけてる、誰かさんのせいだわ」
「おっと、最後のはいらないんじゃないかな」
「あら、この間水族館に行くとき――」
「ああ、もう。そんなことは早く忘れてくれよ」
ほら、もうお会計しようか。逃げるように話を逸らす彼に、そうね、と絢瀬は笑った。